昨日は、上野へレンブラント展を愉しんできました。
本当は、
「素敵な作品を2人静かに楽しみ、桜並木で百人一首を唱えながら、耳元にキス。夜は池袋のバー『夜警』で瞳に乾杯」作戦の予定だったのだけれど、
誘う相手もいない、懐も寂しいで、
結局、先日買ったバタールにハンバーグとピクルス挟んで、紅茶を水筒に入れてのお一人様。
レンブラント展は、あまり下調べしていかなかったのおかげで、
少しびっくりしてしまった。
だって、版画ばかりだったんですもの。
懐かしい響きの「エッチング」という手法のものが多かったようで。
作品が楽しいのもさることながら、和紙が使われていた事にも驚きがあり、充実した展示会だった。
数々の作品を見ていてふと思ったのは、
電気のない世界ってのは、こんなもんだったなと。
窓からの日差し、その光と室内の暗闇。
自然の暗闇の濃淡。
あんまり気にした事なかったなぁ。
今日びの節電活動が頭をよぎる。
駅も電車の中も困らない。
このままでいいよな。
光と闇。
常に両方あってこそ、世界は世界らしくなれるような気がして。
光は色々をあからさまにするから、いちいち体面的な事や言い訳を考えなくちゃならないなんて事もしばしば出てくる。
もうすでに、人間はダメな生き物だって分かってる事じゃない。
他人見ても、自分見ても。
「清く正しく美しく」なんてのを光の下に据え置こうとすると、
人間としての闇が隅っこの隙間に入り込んでしまって、
知らないうちに心の闇のくさびになっちゃう。
清濁合わせもっての人間って事をしっかり認識して、
その向こう側にある寛容さを大切にしなくちゃね。
上野で昼間に花見をしている人達はどう考えているんだろう。
物理的にも精神的にも、毎日起きる体感しない地震のように、
ずっと前から日本は水際ですよと言いたくもなる。
今に始まった事ではなく。
次世代を担うべき20代前半が、揺れると全く動けず「あたし停電なんて本当にキライ!原発なんてアタシに関係ないし!」なんて言うのを聞くと、
我々、少しばかりの年上でも罪を感じます。
そんな事を考える1ヶ月。
昨日は芸術による潤いと桜吹雪によるどことなく少し寂しげな賑わいを感じた日でありました。
桜吹雪と闇と光。
なんとも言えぬが、少しだけ別の前進を迎えた日でありました。
