11月30日、母ちゃんが荼毘に付されました。

 

85年の人生でしたが、69歳の時に大動脈瘤狭窄症を患い一旦心臓を止めて取り出して弁を取り替える大手術を終えてからは病気との日々が続きました。

 

コロナ禍の時期もあり最後は子供達に看取ってもらいながら終えたいとの願いもあって長崎県から姉の居る滋賀県に4年前に引越してきました。

 

僕の二人の姉は看護師で介護は他の人よりは自信もあったと思いますが、側から見ても大変さは伝わってきました。

 

今の日本政府の介護に対する考え方はこれでいいのかなと思わせるほど介護をする側は大変で、僕達以上に悩みを抱えている人は沢山いると思います。この重要な課題に政府は裏金ばかりに精を出さないで本気で向き合ってほしいです。

 

僕が産まれた時は父親が大工の棟梁で景気も良く弟子も数人抱えていて羽振りも良かったのですが、オイルショックの煽りを受けて会社をたたんでからは父親は生活費を殆ど入れず家にも帰ってこなかったので、僕達子供5人は働き始めた母ちゃんの13万円の給料で生活をしていました。

 

そんな母ちゃんの背中を見て育ちましたので、小学5年生の時から新聞配達をしたり夏休みや冬休みは土方のバイトをしたりとかして小遣いを稼ぎ靴や服を買っていた思い出があります。人間万事塞翁が馬で姉兄弟5人学歴はないですが生きていく力は周りの人に負けないくらい逞しくなっていると思います。

 

母ちゃんが還暦になって会社を退職した時に僕は32歳で今の不動産業を起業したとこでしたが、母ちゃんを安心させようと還暦祝いに香港旅行に連れていきました。

初めての海外旅行はいい思い出になったかと思います。

 

それからは姉兄弟でサイパンやグアムに連れて行ったりとか長崎では好きなお花のバイトをしたりとかして楽しい老後を過ごしていたと思いますが、それも69歳迄で手術後は立ち仕事の原因もあったのか腰の調子も悪くてリハビリと車椅子の生活が続いていました。

 

いよいよとなった4年前に姉達が介護を引き受けてくれて、余命2ヶ月と宣告されてからは姉達も寝ずに自宅で介護し、母ちゃんの願いだった子供達に看取られながら最後を迎えることができて本望だったと思います。

 

時が経つにつれ、もう母ちゃんに会えないのかと実感が湧いてきて、寂しくて悲しくなっている自分がいます。

これからは天国で僕達を見守って穏やかな日々を過ごしてくださいね。

85年間お疲れ様でした、産んでくれてありがとう。

 

今日の格言

 

時は命なり

 

「時は金なり」とは言いますが「命」と言い換えたほうがより理解しやすい。

 

なぜなら、「金」は失くしてもまた生み出せるが、

「時」は命と同じく失ってしまうと取り戻せないから。

 

尊い命と同じように「1秒」・「1時間」・「1日」を大切にしよう。

 

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