文学研究会8 | himajin-onlyのやどかり日記

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一切、関係ありません。
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1991年5月=私が博士課程1年生=日本文芸学会の大会の園田女子大学
1992年5月=私が博士課程2年生=日本文芸学会の大会の帝塚山大学
1993年5月=私が博士課程3年生=日本文芸学会の大会の山梨英和短期大学に、新幹線に、かなり、遅刻&到着。帰りは、二松学舎大学の院生と、ほうとうを食べに行く。

1993年8月9日10日11日=日本文芸学会の夏期研究集会に、ようやく、出席。母校の大学の院の先輩が研究発表者。
1993月8日16日=實方清先生が召天。川端康成ゼミの私の卒論の指導教官の先生から、實方先生は、「林芙美子は」「放浪記は」から始まる作家論は認めない、作品論をしなさいと、注意されるが?

1994年5月=私が院の研究生の1年目=日本文芸学会の大会の甲南女子大学で、私は「放浪記は」から始まる作家論の口頭発表をするのだが、立命館大学の院生の樋口一葉研究者も口頭発表していて、その場で、すぐ、樋口一葉研究会に誘って、樋口一葉研究会の東京の会場で山田有策先生にご紹介する。

1994年8月=日本文芸学会の夏期研究集会で、芥川龍之介の地獄変の院生の研究発表の、むちゃくちゃな司会を担当&自爆。電通のロコちゃんも、洋画の写真を引用した研究発表をする。母校の大学院の助手の先生も研究発表をする。
1995年1月17日=阪神・淡路大震災
1995年3月20日=地下鉄サリン事件

1995年6月=私が院の研究生2年目=日本文芸学会の大会の花園大学
1995年8月=日本文芸学会の夏期研究集会の立命館大学で、私は林芙美子と天草を、これまた、夏目漱石の草枕との比較をベースに、むちゃくちゃな展開の作家論を発表。鹿児島出身の内倉尚嗣が、坂口安吾の白痴で、赤坂憲雄の異人論を使い?

1995年8月=日本文芸学会の夏期研究集会の立命館大学で、大久保健治が、超、面白くない研究発表をしたので、暑中見舞いで、いいのは顔だけで、研究論文が完成するには20年かかるって、どこが面白くないか、ピン・ポイントで指摘したのを書いて、送ったら、行方不明。鹿児島の竹本先生に似ている。