文学研究会9 | himajin-onlyのやどかり日記

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一切、関係ありません。
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日本文芸学会
 
1989年5月=私が修士1年生=日本文芸学会に大会の関西学院大学で入会
1990年5月19日20日=私が修士2年生=日本文芸学会の大会の立命館大学で、泉鏡花の研究発表者に、夏期研究集会を始めるって、誘われたが、欠席。
1990年5月20日24日=三好行雄先生が急逝、太宗寺の葬式で、日本文芸学会の会員に会う

1991年5月=私が博士課程1年生=日本文芸学会の大会の園田女子大学
1992年5月=私が博士課程2年生=日本文芸学会の大会の帝塚山大学
1993年5月=私が博士課程3年生=日本文芸学会の大会の山梨英和短期大学に、新幹線に、かなり、遅刻&到着。帰りは、二松学舎大学の院生と、ほうとうを食べに行く。

1993年8月9日10日11日=日本文芸学会の夏期研究集会に、ようやく、出席。母校の大学の院の先輩が研究発表者。
1993月8日16日=實方清先生が召天。川端康成ゼミの私の卒論の指導教官の先生から、實方先生は、「林芙美子は」「放浪記は」から始まる作家論は認めない、作品論をしなさいと、注意されるが?

1994年5月=私が院の研究生の1年目=日本文芸学会の大会の甲南女子大学で、私は「放浪記は」から始まる作家論の口頭発表をするのだが、立命館大学の院生の樋口一葉研究者も口頭発表していて、その場で、すぐ、樋口一葉研究会に誘って、樋口一葉研究会の東京の会場で山田有策先生にご紹介する。

1994年8月=日本文芸学会の夏期研究集会で、芥川龍之介の地獄変の院生の研究発表の、むちゃくちゃな司会を担当&自爆。電通のロコちゃんも、洋画の写真を引用した研究発表をする。母校の大学院の助手の先生も研究発表をする。
1995年1月17日=阪神・淡路大震災
1995年3月20日=地下鉄サリン事件

1995年6月=私が院の研究生2年目=日本文芸学会の大会の花園大学
1995年8月=日本文芸学会の夏期研究集会の立命館大学で、私は林芙美子と天草を、これまた、夏目漱石の草枕との比較をベースに、むちゃくちゃな展開の作家論を発表。鹿児島出身の内倉尚嗣が、坂口安吾の白痴で、赤坂憲雄の異人論を使い?

1995年8月=日本文芸学会の夏期研究集会の立命館大学で、大久保健治が、超、面白くない研究発表をしたので、暑中見舞いで、いいのは顔だけで、研究論文が完成するには20年かかるって、どこが面白くないか、ピン・ポイントで指摘したのを書いて、送ったら、行方不明。鹿児島の竹本先生に似ている。
1996年6月=私が院の研究生3年目=日本文芸学会の大会の私の母校の大学で開催され、ボロボロな裏方で、全部、根回しから、先輩にやり直してもらって、自爆。私の母校の大学の学長賞を中高大院と受賞し続けた優秀な後輩の大国真希の芥川龍之介の切支丹物の口頭発表。電通のロコちゃんも口頭発表する。

1996年6月=日本文芸学会の大会の私の母校の大学で開催に、物くさ太郎の口頭発表者に対して、村松定孝先生が質疑応答で、柳田国男を読んだことはあるかねって、いつもの論を展開したので、母校の図書館に走って行って、そのヶ所を3部ずつ、コピーして、村松定孝先生と口頭発表者と私それぞれに手渡し?

1996年8月=日本文芸学会の夏期研究集会の花園大学は、花園大学って、2度目だなあって、しかも、物くさ太郎の口頭発表者も、再び、口頭発表をしていて、仲良くなる?平居謙が林芙美子の周りのダダ?の萩原恭次郎を、口頭発表してくれたので、嬉しかったはず。

1997年6月=私が院の聴講生1年目か?=日本文芸学会の大会の活水で、林芙美子の風琴と魚の町を、赤坂憲雄の異人論をもらって、口頭発表の原稿もなく、往きの飛行機の中でも、活水の近くの喫茶店でも、ずっと、準備中で、なんとか、質疑応答で作品論の形に近づけてもらう。文字化できず、今に至る。

1997年4月=私が院の聴講生1年目か?=村松定孝先生のゼミの聴講の登録しなかったので、締切後、大学院の事務にかけ合ったが、許可されず、放浪記の言葉の典拠を調べるよう、ご指摘いただくが、ゼミの準備ができず、とうとう、事務員さんが、受講禁止を授業中に伝えに来て、教室から摘まみ出される。

1997年4月=私が院の聴講生1年目か?=山田有策先生のゼミ発表で、私の順番だったが、全く、ゼミの準備ができず、とうとう、すっぽかして、自爆。大学院を辞めることになる。
1997年5月=私が母校の大学の近代文学研究所の臨時職員ボロボロ。日本文芸学会の風琴と魚の町のため、休みをもらうができず。

1998年=私は母校の大学の近代文学研究所をクビ。実家の診療所の医療事務をするって、挨拶。未だに、医療事務の専門学校にすら、通ってない。国会図書館の、私の祖母の口述筆記の本の初出を熊本の同人誌に発表していた職員にお願いし、国会図書館の非常勤になったが、小劇場の劇団に、はまって、クビ。

1998年=私は国会図書館の非常勤を辞めた時、樋口一葉研究会以外のすべての文学研究会を辞めるが、その後、少し、カムバック。