ジョン・F・ケネディは、Fの部分が鍵で、Fはフィッツジェラルド。初代ウィンザー城の城主の家系であり、イギリス王室のウィンザーはこの家系の名であるが、第一次世界大戦前はザクセンの名であった。家名を変えたのは、批判を避ける為だと思われます。そしてチューダー家などの英国王室の家系とも結びついている。イギリスの国旗は、フィッツジェラルド家の紋章の聖パトリックのサルタイアとイングランドの十字が採用されている。

近縁のフィッツモーリス男爵と後のケリー伯爵は、現在のランズダウン侯爵ペティ・フィッツモーリスと男系を継承しているが、初代デズモンド男爵ジョン・フィッツジェラルドの甥、初代ケリー男爵トマス・フィッツモーリス、弟モーリス・フィッツトーマスの息子の子孫である。このランズダウン侯爵ペティ・フィッツモーリスは、あの有名な、シェルバーン伯爵である。

 

ランズダウン侯爵のロンドンの邸宅であるランズダウン・ハウスは、後にウィリアム・ウォルドーフ・アスターとメントモア・タワーズのハンナ・ド・ロスチャイルドが住んでいました。 また、米国に独立を与えたパリ条約の草案の場所でもありました。
そして、分家には、イェール家があり、トーマス・イェール・ジュニアは、ニューヘイブン植民地の共同設立者であり、ハーバード・コーポレーションの7人の創設者の1人であり、アメリカで最も古い企業であり、ハーバード大学を共同設立した。東インド会社の総督であったエリフ・イェールがイェール大学を設立した。
300人委員会メンバーのニール・フィッツジェラルドは、アイルランド実業家でユニリーバの会長です。ユニリーバは、イギリス・ロンドンに本拠を置く世界有数の一般消費財メーカーであり、オランダのマーガリン会社のマーガリン・ユニとイギリスの石けん会社のリーバ・ブラザーズが統合した会社である。

1939年、国際決済銀行総裁ヨハン・バイエンがユニリーバの重役となった。同年4月、ドイツ・ユニリーバの社長としてBIS・ライヒスバンク勤務暦のあるカール・ブレッシングが招かれている。実際、ユニリーバはドイツに多くの大工場をもちナチス・ドイツの経済に対応していた。第二次世界大戦によってユニリーバのエンジニアが不足していることが明らかになり、プロクター・アンド・ギャンブルと終戦後に合成洗剤開発を提携するという応急措置がとられた。このギャンブル家の御曹司がスライヴムーブメントの仕掛け人であり、その後のトランプムーブメントになるものがスライヴである。そしてスライヴの出演者には、ディロン社のマネージングディレクター、キャサリン・オースティン・フィッツがいる。ディロン社の子会社が軍事産業専門投資会社カーライルであり、その経営者がブッシュ大統領親子であり、そのディロン社の持ち主は、マーク・リッチであり、マーク・リッチの妻はアイゼンベルグの孫娘である可能性があるので、裏に居るのは、ドイツ皇帝と日本の満州人脈であると推測されます。
安倍昭恵は、アイゼンベルグの家系と遠縁でユニリーバと業務提携をしている森永乳業の森永家と繋がりが深い家系であり、ユニリーバ・ジャパンの創業者は、杉山金太郎で長男元太郎の妻の杉山淑子、旧姓は牧野淑子の親族には、曾祖父の元勲大久保利通や祖父の牧野伸顕、叔父の元内閣総理大臣吉田茂をはじめ、多くの政治家や実業家、皇族や華族などがいる。


ケネディを推す最大の理由は、1521年から1526年にかけてのイタリア戦争では、第10代デズモンド伯爵ジェームス・フィッツジェラルドは、シャンボール城のヴェネツィア人およびフランス王フランシス1世と共謀し、ハプスブルク家、チューダー家、メディシス家と対立した。以上を要約すると反ハプスブルク、反現体制、反キリスト、シオニストであるグノーシス派と推測される。