祖父が亡くなったとき。
嫌だ嫌だと大泣きしていたのですが、ふと、
「祖父が1番嫌がっているんじゃないだろうか」
という思いが過り、
それからは、亡くなった人に行かないでと訴えるのを辞めました。
自分が死んだとして、
TVで放送される有名人のお葬式でよくいわれるような
「なんで先に死ぬんだよ! 嫌だよ! 馬鹿野郎!」
などという弔辞をいただいたとしても、
誰にも見えない幽霊だか魂だかになってしまったわたしは、
「や、わたしこそ嫌やよ。でも仕方ないやん」
とぶーたれるだろうなあ、と思ったからです。
なので、亡くなった方に対しては、
ただただ心穏やかに冥福を祈ろうと、わたしにできることはそれしかないんだと、
そう心に留めていました。
ただ、今回。
Twitterなどに次々と吐き出される「ご冥福をお祈りします」という言葉に、
嫌悪感をおぼえてしまいました。
さっさと現実として受け止めて大人の対応をするなんて。
すぐに心の整理がつくような、その程度の存在だったの!? なんて冷たいんだ!
わたしは信じない。信じられるわけがないのが普通だろう!
そう、怒りさえ湧いていました。
そして、喪失によるかなしみに打ちひしがれているはずなのに、
他人にそんな下劣な感情を抱いてしまう自分もかなしくて、
自分でもよくわからないもやもやが心や頭や手足の先を堂々巡りして、混乱していました。
滝下さんに握手をさせていただいたお友達からメールが来たのですが、
何をいっても嘘で、空っぽで、いいたいことの全てにならなくて、
何度も書いては消し、結局、返信できませんでした。
そんなわたしを救ってくださったのが、三浦祥朗さんです。
卒業旅行でのわたしのお目当てさんが、彼です。
三浦さんのTwitterでの呟きは、何だかわたしの感情とリンクしていて、
その一言一言を読む内に、かなしみの鎖でがんじがらめに縛られていた心が軟化し、
自分と違う行動を取っている人のことが気にならなくなり、
現実と向き合うことができました。
本当にすごかったです、あの怒涛のように昇華される日々。
感謝しかありません。そうじゃなかったら、もしかしたら今も、俯いたまんまだったかもしれません。
1、沈黙。
名前を出すこともなく、ただかなしみを感じました。
2、想い。
お仕事の媒体が違っていたこともあり、お名前を聞く機会は少なかったものの、
やっぱり愛情を持ってお付き合いされていたんだなということがわかり、
うれしかったです。
3、わたしたちファンへ。
いつか見た舞台に一緒に立っておられた仲間の、
そして、滝下さんのお名前で、
あたたかい言葉を代弁してくださり、救われました。
ご冥福をお祈りさせていただくことが、漸くできました。
「司馬懿ヤレっ!」と三浦さんはおっしゃっていますが、
わたしはまだ、手を付けられていません。
ゲーム自体にもだいぶ触わっていなかったのですが、
ゲーム仲間と先日発売になったCDとの力で、再開しました。
敵や援軍として司馬懿が出て来ると、いまだびくっとしてしまいますが、
唯一の接点だと思うと、感慨深いです。
ご本人に直接好きだと伝えられなかった今、
一部が宿るものを大切にしていきたいと思います。
まだどうしようもなくかなしくなって、泣いてしまうこともありますが、
出逢えたこと、いただいたものを大事に、これからも生きて行きます。
また、今回のことで、
大切な人にきちんと「あなたが大切です」と伝えたい、と思いました。
人はいつ死ぬかわからない。そんなことはわかっている。けれど、本気でそう思ったことはない。
だから、大切じゃないと感じることもある。大切なのに。
千の風になればどんなこともできるのかもしれません。
でも、生きている内にしなければ意味がないことも、あるように思います。
遺されたときに感じることはできても、先に逝ったときに伝えられないことはあるはずです。
生きているということ、大切なものがあるということ、
その幸福に感謝し、前を向いていようと思います。
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