僕が20歳の頃…


開拓者でパートナー生活していた時…


年上のパートナーが移動し、会衆内で僕が2世若者の年齢トップになってしまった。


当時は新聞配達して貧乏開拓者やりながら、独りでボロアパート極貧生活の日々。


そんな中、他の会衆では若者2世たちが離れる現象がみられてきており…みんな少し不安を感じ焦っていた。


僕は会衆の霊的な長男として変な責任感を抱き、また2世の親達や周りからの期待やプレッシャーもあり離れるのを阻止しようと頑張っていた。

そんなみんなの期待に応えることで、僕は自分の居場所を保てていたように思う。


しかしそこは若く不器用な僕…

猪突猛進で良かれと思い、色々やりすぎて…

年下の姉妹には『保護者面するな…』みたいな事を言われたり、とほほ…

順風満帆とは行かなかったけど、

まぁ大体は楽しんでやっていた。


まずは自分がJwを楽しんでやってないといけないと思い聖書の原則に反しない限り色々楽しむようにした。

そして開拓者としての生き方が素晴らしいかを体現しようとアピールした。


天体観測(流星群観測)、湖水浴、キャンプ、芋煮会(BBQ)、体育館レクリエーション、スキー·スノボなどは定番化し皆も期待してくれていた。と思う(笑)。


親の許可を取り子供たちを標高700mあたりの山に連れて行って、雨のように降る流れ星(流星群)を見て皆で感動した。

しし座流星群の11月は寒いので毛布持参し寝転んで見たり、僕が大鍋におでんを大量に作りガスコンロで温めて真っ暗な中で熱々を食べたりと、良い思い出だ。


レクリエーション系の頻度や拡大は宣教者の影響が大きく、やりやすくなった背景もあったね。


↑影響大きかった宣教者の話し


うちの会衆がイベントが多く楽しんでいるように見えたのか、隣の会衆も交ぜて欲しいと依頼が来るようになった。


そして無謀にも他の会衆に出向いて体育館のレクリエーションをプロデュースしたりしてた。

体育館のレクやっても盛り上がらない、若者を楽しませて欲しいとの依頼だった。

それで皆で盛り上がる大縄跳びやってみたり…色々やったなぁ…


今は子供が少ないから盛り上がらないんだろうなぁ…


ま、結論として離れる子は離れましたね。



木綿豆腐を食べやすい大きさにカットして水気をペーパータオルでふきとり、片栗粉にまぶして、少しの油で焼くだけ。
ポン酢やおろしだれをかけて食べても美味しいかと…
僕は焼き色付いたら醤油と砂糖とニンニク(チューブのやつ少し)で甘辛く味付け。

白飯にあうね。










僕のお気に入りのブロガーさんが引っ越しをするようだ。


引っ越しで思い出したこと…


組織からフェードアウトしてから隣の街に引っ越した僕。


もうJWに頼らすに引っ越しすることにした。


初めて引っ越業者に依頼…


色んな業者に見積りとって…


結果…24万円もかかった…

ひぇ~(;゜0゜)高っ!


今まで引っ越業者なんて使わなかった。

逆に引っ越を僕は積極的に請け負ってきた。他の会衆にまで手を付けていた。

勿論無償でね。


そんで僕は好きだったんだよなぁ…

引っ越のお手伝い。


自分なりに段取り組んでスムーズに行くと満足感あったし、仲間の役に立てるし、あと未信者(ご主人)の方に良いイメージを与えられるしね…

このJWによるド素人集団の引っ越し…もうお祭り騒ぎだったね。


メリットは…

費用は格安ですむ。

トラックのレンタカー代のみ。

人件費ゼロ。

何なら豪華なお食事付き。

僕は簡単なリフォームや地震対策までサービスでやっていた。


デメリットは…

プライバシーが無い持ち物が全て曝される。

無駄な人員が存在する時多々ある。

素人なので危険!

実例。

四階のアパートのベランダからロープ一本で強引に大きなタンスを引き上げたり。

高架橋の下を通るときにトラックに積んだ物干し竿を橋に引っかけて折ってしまったり…

トラックでバックした時に新築マンションの壁に接触し壊したり…

そう全部僕がやらかしました(笑)。


危ない引っ越奉行でしたね。


最近好評だった漬け物
柚子が無かったのでレモン!
スライスした大根に塩ふって水気を切って、かんたん酢にレモンをスライスして漬けただけ。
レモンは実家で育った東北のレモン。

爽やかで美味しい。



こんにちは、ちまたはクリスマスムードでウキウキしますね♪。


何故このタイミングでこのネタなのか…(笑)


これまでの僕の人生において日本の支部委員で多く絡めたのは池畑重雄兄弟である。


子供の頃は、地元の会衆にベテルと繋がりのある長老がおり、その関係で頻繁に東北まで何度か訪問講演に来てくれていた。

食事招待の機会もあり度々参加していた。

いつもニコニコしておられ情熱的なイメージをもっていた。


大人になってからは地域大会でベテルから代表で来られていた時に何度か個人的に話す事が出来、よく誉めてくれた。


僕は清掃部門でイベントホールの女子トイレが少ない為に工事現場で使う仮設のトイレ20台を設置。

しかし見映えが悪いので、部門でパーティションや生花や聖書の絵で飾り付けをし、化粧直しコーナーを作り、アメニティも備え快適な環境にしていた。


この会場を視察していた池畑兄弟はこの仮説トイレスペースを見て、『ここはイタリア大会のようですね!』と情熱的に誉めてくれた(大袈裟なくらい)。

当時イタリア大会帰りそのテンションでの地域大会訪問だったのだろう。

しかし時差ボケなんて関係ないパワフルな男だった。


清掃の部門監督なんてのは誰でも出来る奉仕だけど、このサービスは創造性があり楽しくやりがいのある奉仕だったなぁ。


あとは排斥され復帰後ね。


会衆を訪問講演してくれた時。


日曜日の午前に会衆で講演して食事招待後にとっとと帰ると思いきや、午後の野外奉仕に参加すると言うパワフル池畑重雄兄弟。


帰りの新幹線の時刻ギリギリまで奉仕していた。

時計を見ながら『もう一軒行けますね』と家から家を走って訪問していた。

あれはね。当時の僕は何か感動したね。

終わりが迫っているから、一軒でも多く一人でも多く救いたい…って感じがしてね。


でも…アピールだったのかな…


その後の新幹線の駅までの送迎役の僕。

車の中で少し会話した。


縦書きの聖書の小冊子が出た後で、池畑兄弟は野外での成果を気にしていた。


僕は空気を読まず正直に、野外奉仕では使ってないし使えないとオブラートに包んで言った。

田舎だから自分で聖書の格言的な聖句をカードに印刷して渡してるって言ったら…

何か池畑兄弟…ガッカリしていたなぁ。


そんな時に、妻も車に同乗してたのだけど…

前日に妻は、池畑兄弟にキャンディス·コンティ事件(性的虐待事件)の事を日本支部の代表としてどう思っているのか聞いてみる。と言っていたのだ。

もうヒヤヒヤして運転していた。



結果は…僕が必死で止めて、妻は言わずに何事も無くお帰りいただきました。


今なら

直接聞いてみたい!


まぁ当時の支部委員の中では、僕は好印象でした。

熱い男のイメージ…


しかし、統治体の色々な決定を腹の中ではどう思っていたのか…

聞いてみたかったなぁ。


そんな事を思い出しました。


その時の四人(笑)