シーン①

野崎孝訳

ちょっとのあいだ彼は、けげんな顔をしてぼくを見ていたが、
「わたしがギャッツビーですが」と、だしぬけにそう言った。
「えっ!」思わずぼくは叫んだ「いや、これは失礼しました」
「わたしはまた、親友、あなたは、ご存じとばかり思ってましてね。
あまりいい主人ぶりでなくて申しわけありません」
彼は深い理解のにじんだ微笑を浮かべた いや、深い理解のにじんだと言ったのではまだ足りぬ。
それは一生のうちに、四、五回しかぶつからぬような、永遠に消えぬ安心を相手に感じさせるものを
たたえた、まれにみる微笑だった。


村上春樹訳

彼はしばらくのあいだ、うまく呑み込めない様子で僕の顔を見ていた。
「私がそのギャッツビーですが」と彼は唐突に言った。
「何ですって!」と私は大きな声を出してしまった。「ああ、いや、これはどうも失礼」
「てっきり私のことをご存じだと思っていたんですよ、オールド・スポート。
どうやらホストとしては失格みたいですね」
彼はとりなすようににっこり微笑んだ。いや、それはとりなすなどという生やさしい代物ではなかった。
まったくのところそれは、人に永劫の安堵を与えかねないほどの、類い稀な微笑みだった。
そんな微笑みには一生のあいだに、せいぜい四度か五度くらいしかお目にかかれないはずだ。


masato訳

一瞬彼は理解しかねるとでもいうように僕を見た。
「私がギャッツビーです。」彼は突然言った。
「えっ!」僕は驚いて声に出してしまった。
「それは失礼を。。」
「あなたはご存知だと思っていましたよ、オールドスポート。
どうやらあまりよいホストではないようですね。」

彼は"理解っている"といった風に微笑んだ。
いや、"理解っている"なんていったものじゃない。
それは永遠の安心とでも言うべき資質が込められたあの類い稀な微笑みだった。
そんな微笑みには人生で4度か5度しかお目にかかれない。



シーン②

野崎孝訳

ギャッツビーは、その緑色の光を信じ、ぼくらの進む前を年々先へ先へと後退してゆく狂躁的な未来を信じていた。
あのときはぼくらの手をすりぬけて逃げて行った。しかし、それはなんでもない-あすは、もっと速く走り、両腕を
もっと先までのばしてやろう・・・そして、いつの日にか-

こうしてぼくたちは、絶えず過去へ過去へと運びさられながらも、流れにさからう舟のように、
力のかぎり漕ぎ進んでゆく。


村上春樹訳

ギャッツビーは緑の灯火を信じていた。年を追うごとに我々の前からどんどん遠のいていく、
陶酔に満ちた未来を。それはあのとき我々の手からすり抜けていった。でもまだ大丈夫。
明日はもっと速く走ろう。両腕をもっと先まで差し出そう。・・・そうすればある晴れた朝に-

だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、
絶え間なく過去へと押し戻されながらも。


masato訳

ギャッツビーは緑の灯を信じていた。年を追う毎に遠のいていく恍惚とした未来。
それらは僕らを無視して進む。

けれど構うものか。
明日はもっと早く走るんだ。遠くまでグッと腕を伸ばすんだ。
そして、ある晴れた朝。。。

だから僕らは進んでいく。
流れに逆らうボートは、絶え間なく過去へと押し戻されるけど。



そして「グレート・ギャツビイ」はその後ずっと僕にとっては最高の小説でありつづけた。
僕は気が向くと書棚から「グレート・ギャツビイ」をとりだし、出鱈目にページを開き、その部分をひとしきり読むことを習慣にしていたが、ただの一度も失望させられることはなかった。一ページとしてつまらないページはなかった。なんて素晴らしいんだろうと僕は思った。

~「ノルウェイの森」


もし「これまでの人生で巡り会ったもっとも重要な本を三冊あげろ」と言われたら、考えるまでもなく答えは決まっている。この『グレート・ギャッツビー』と、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』と、レイモンドチャンドラー『ロング・グッドバイ』である。
どれも僕の人生(読書家としての人生、作家としての人生)にとっては不可欠な小説だが、どうしても一冊だけにしろと言われたら、僕はやはり迷うことなく『グレート・ギャッツビー』を選ぶ。

~「グレート・ギャッツビー訳者あとがき」




村上春樹の長編短編エッセイ問わず、彼の書く文章全般に対して僕が抱く気持ちは、ワタナベ君が「グレート・ギャツビイ」に対する気持ちと全く同じように思えます。


皆様は如何でしょうか?


大学生のころ偶然手にとって以来、随分と熱心に村上作品を読んできました。

彼が、この小説は面白いと書けば読んでみるし、この音楽は素晴らしいと書けば聴いてみるし、翻訳は面白いと書けば翻訳してみるし、走ることは気持ちいと書けば走ってもみる、と随分、人生に彩りを添えてもらった気がします。


そんな中でも一際、大きな影響を与えられたのは海外文学作品への深い愛情です。
フィッツジェラルド、カポーティ、アーヴィング、ドストエフスキー、ディケンズ、コンラッドなどなどなど。


特にフィッツジェラルドの「グレート・ギャッツビー」に至っては上の文章の通りの大絶賛ぶりです。


一体何がそんなに「素晴らしい」のか。
その謎を知りたくて、文庫を何度も読み返したり、映画を観たり、果ては卒論まで書いたりしてみました。


今では、たまたま読んでいる小説や観ている映画の中で、ギャッツビーに対して言及のあるシーンでは「ニヤリ」とするほどになりました。(卒論まで書いておいて、それだけかよ、と言われるとそれまでですが。。)


ただ残念なことに、「グレート・ギャッツビー」について誰かとリアルな会話をしたことがほとんどありませんでした。


物語は多様性を産むことにその大きな価値があると思うのですが、「ギャッツビー」に僕らなりの光をあてて、「何がそんなに素晴らしいのか」話し合ってみませんか?



というわけでほぼ勢い一発で決まった「グレート・ギャッツビー読書会」ですが、愉しくてディープな会にしたいなと考えております。


2009年7月12日(日)mixiにて掲載
①

For a moment he looked at me as if he failed to understand.
'I'm Gatsby,' he said suddenly.
'What!' I excleimed.
'Oh, I beg your pardon.'
'I thought you knew, old sport. I'm afraid I'm not a very good host.'

He smiled understandingly - much more than understandingly. It was one of those rare smiles with a quality of eternal reassurance in it, that you may come across four or five times in life.



②

Gatsby beleived in the green light, the orgastic future that year by year recedes before us. It eluded us then, but that's no matter - tomorrow we will run faster, stretch out our arms further... And one fine morning -

So we beat on, boats against the current, borne back ceaselessly into the past.




1950年にPenguin Booksより出版された「THE GREAT GATSBY」より抜粋。


②は皆様、文句無しのアメリカ文学史に燦然と輝く名文かと思います。
①に関しては、他にも選択肢はたくさんあるかと思うのですが、今回は私の独断と偏見によるチョイスとさせて頂きました。


それにしても①のシーンは良いですね。
春樹の小説にもこんなシーンがありそうな気がします。

本当はこの"Gatsby's smile"に関する記述はもう少し長いのですが、時間の関係で上記にてカットさせて頂いてます。


春樹的といえば、デイジーとギャッツビーの出会いをニックが演出するシーンのこの描写もけっこう春樹的で笑えます。


We went in. To my overwhelmingly surprise the livingroom was deserted.
'Well that's funny,' I exclaimed.


"to my overwhelmingly surprise"というところが何とも良いです。