映画「身代わり忠臣蔵」が公開されている。まずまず好調のようで祝着であるが、中で吉良の首でラグビーをするようなシーンが話題になっている。

公式インスタより )


 生首でラグビーといえば、思い出すのは筒井康隆「万延元年のラグビー」だ。。桜田門外の変の後、井伊直弼の首を奪い合ってラグビーをするというトンデモ小説である。

 筒井の作品は、大江健三郎「万延元年のフットボール」を下敷きにしている。万延元年からちょうど百年後、60年安保を背景にした作品である。100年前の百姓一揆とフットボールチームに集められた暴力的な若者の共通点。難解な小説を読み解くのは私の任でないが、背景に民俗学的な祝祭への着目があるのは見て取れる。

 民俗学的な祝祭として忠臣蔵を捉えたのが、丸谷才一「忠臣蔵とは何か」である。国文学の方に明るくはないのだが、筒井康隆と大江健三郎、そして丸谷才一に交流のあったことは事実として認められるはずである(筒井による大江の追悼エッセイ など)。

 吉良の首で行われるラグビー(略称キラクビー、なんちゃって)は、大江に倣って言えば元禄15年のフットボールである。これは単なるドタバタではなく、日本人の精神構造の深層に迫る重要なシーンと言うべきである(かも知れない)。作り手にその意識があったかどうか、聞いてくれるインタビュアーはいないだろうか(いないだろうな)。


 「身代わり忠臣蔵」はコメディ時代劇であるだけでなく、日本文化の根幹にアプローチしようとする映画なのである。その精神性が高く評価され、カンヌではパルムドールを獲得する

 …筈はないよね。


 念のため言っておくと、書いた時点では未見である。


[鑑賞後付記]拝見したあとの感想で言うと、史実からはかけ離れるけれど、ストーリー展開的には意味のあるシーンだったと思われる。パンフレットによれば、アイデアを出し合っている時に生まれたそうで、やはり無意識にでも筒井康隆作品が誰かの脳裏に残っていたのではないかと推察される。