忠臣蔵(赤穂事件)をテロ呼ばわりすることについて、赤穂のひでっくんがクレームをつけている。要約すると、現代の価値観をもって過去を評価するのは不当だということになろう。 


 そもそも政治行動でない四十七士の討ち入りをテロというのには無理があると思うのだが、そこは措いておこう。前近代の偉人たちは、多くテロリスト認定せざるを得ない。維新の志士、戦国の三英傑は言うまでもない。古くは中大兄皇子=天智天皇(宮中で蘇我入鹿を暗殺)も数えてよい。史実とは言えないが、神武東征や日本武尊だって暗殺をやっている。日本武尊について言えば、被害者クマソタケルに賞賛され名前を譲られている訳で、暗殺が悪いというイメージは微塵もない。テロだから価値がない、というのは近代的偏向なのだ。



 あらゆるものは歴史的に形成される。テロ概念も例外ではない。テロリズムが云々されるのは、これは世界史の人に確認しないといけないが、ジャコバン独裁以来らしい。つまり、憲法が制定され、議論によって政治を行うべきであるという価値観と制度を持ちながら、暴力によって国家意思を決定しようという行動がテロリズムであると定義し直す事ができる。

 民主的な制度の確立する以前の事象をテロと断ずるのは、超歴史的というべきだろう。もとよりきちんとした概念規定のうえでなら、前近代の行為を「テロ」と呼んでも構わないと歯思うが、そこに安易に現代の価値観を投影すべきではないのである。この場合、前近代の「テロ」に否定的でないことが現代のテロを肯定するものでないことも、確認しておかなければなるまい。


 改めて、赤穂事件は「テロ」じゃないけどね。