赤穂事件をテロというようになったのは何時からだろうか。正確なところはわからないが、記憶にある限りでは故·神田陽司師の新作講談「テロリスト大石内蔵助」あたりではなかろうかと思う。
 検索してみると口演が2002年春で、前年に9.11が起きているから、いわば流行に乗った形である。

 師のサイトには新作の台本が生前から公開されていて、今もその貴重な資料を見ることができる。

「テロリスト大石内蔵助」 


 ただ、正直なところ、内容を読んでもどこが「テロリスト」なのかよくわからない。これは当時実際に聞いた人も同様の感想を持たれたようである。

 新しいのはお重(後のお軽)の身の上話を聞くところと、「仁義忠孝」の高札が塗りつぶされたというエピソードを強調しているところ。なかなかいい話にはなっていると思うが、問題はテロとのかかわり合い。別段大石が無関係なひとを巻き込むわけでもなく、声高に革命を叫ぶわけでもない。あえて言えば、社会的不公正への怒りに焦点が当たっているようで、果たしてしからば陽司師はむしろテロに同情的であったかのようである。

 既に故人となった師から真意を聞くことはできない。


 エンタメ分野では、どんな珍解釈もあり得るし、テロとして描いても面白くなればいいと思う。ただ、テロとは何かが明示されておらず、何となく使われたのは残念な話である。いわんやその語を無反省に承継する人々においてをや。