大河ドラマ「青天を衝け」開始記念企画として、渋沢栄一翁の赤穂義士観を紹介しよう。『渋沢栄一全集』第六巻は随筆集にあてられており、その中に「赤穂義士の復讐に就て」の一編がある(大正六年。以下、国会図書館デジタルコレクション図書館限定公開による)。


 人情と法理は必ずしも一致しないという一般論から、渋沢は説き起こす。報を重んずる立場からは、荻生徂徠のように非難する意見がある。しかし、彼はそのような峻厳論を取らず、人情に重きをおいた室鳩巣流を支持する。「少年時代から、鳩巣の説に同意し、人は誰しも斯くありたいものであると思うて居る」のである。
 渋沢の赤穂義士についての知識は、『元禄快挙録』を読んだほかは義太夫か芝居程度、当時として、常識の範囲を出るものではない。それでも義挙の原因に一家言ありというのは、人情と法理の不一致からくる。浅野の刃傷はもとより罪であるが、その原因として吉良の私曲があって、同情の余地がある(と彼は見ている)。要は同情すべき内匠頭に法律を峻厳に適用したのが動機だと言うのである。
 ついで山鹿素行の感化に言及する。素行の思想を「陽明学を祖述したもの」とするなど問題はあるが、同様の議論はままある。大切なのは「大石良雄は、山鹿素行の学問を承け、よく知行合一の実行を徹底した」つまり「学問の力が預与りて大」とする点であろう。
 ことに渋沢が大石に敬意を払うのは「あれ丈けの多数の人々を一致団結せしめ」たリーダーシップである。「人材とか、手腕家などといふ位」では表せない「統率の美観」である。これは、渋沢の経験を反映している。「私なども、青年時代には、無謀なる事業を企てたことがあるが、何時も意見の衝突が多くて失敗したものである。要するに、非凡なる統率者を得なかつた故である」自分の理想を大石に投影する。これも義士ファンによくあることである。
 そして結論。「絶対献身犠牲の精神を以て、亡君の仇を報ぜむと企てた彼等赤穂義士の快挙は、其の発足点に於て実に壮絶…其の最後に於て一人として未練なく、笑うて黄泉の下旧主に見えんとした詩的最後…美絶と称するに余りあり」と、手放しの礼賛である。
 法律においてはかれこれの議論もあろうが、人情において、赤穂義士の挙動はまことに「武士道の好教材」なのである。
 新奇なことを言っている訳ではない。幕末・明治を生きた常識人の、ごく当たり前の感性の赤穂義士観なのである。