和辻哲郎といえば、言うまでもなく、日本を代表する倫理学者である。特に、山鹿素行の儒教的士道と葉隠の武士道を対比させた所論は、その後の武士道研究に大きな影響を与えた。が、今日の話題はそのことではなく、彼の結婚にまつわる小話である。

 和辻はまだ東京帝国大学哲学科の大学生。静かな環境で卒業論文の執筆をしたいという希望に、後輩の高瀬弥一が藤沢鵠沼の自宅の離れを提供した。高瀬の父は貿易商で、相当の富豪だった(1回破産したはずだが、その割には財産があったようである)。
 卒論はもちろん完成したが、そのついでに、と言っては失礼だが弥一の妹・照に求婚したそうである。高瀬家側に異論はなかったのだが、和辻家側では父・瑞太郎が猛反対する。
 和辻家は姫路の医家。古風な義理堅い人物であったらしく、息子の勝手な行動に怒り心頭である。第一、親の知らない間に話を進めるとは何事か。しかも仲人もないとは…。妻の実家の財産をあてにするとは怪しからん。エトセトラ、エトセトラ。
 哲郎の方も弁解にこれつとめ、結句兄の取りなしでどうやらお許しが出ることになった。そうとなれば、瑞太郎の方から高瀬家側に挨拶せぬ訳にもいくまい。
「さて貴家令嬢いまだいずれへも御約束これなく候や。もし御約束いまだ整いなされず候へば、豚児哲郎の妻として下されまじくや」
いやいや、お父さん。わかってるでしょうに。もうあなた以外は了解済みなのよ、というツッコミは控えておこう。本日の話題はそのあと。
「無介者直接に申込み候事甚だ軽率の嫌いこれあり候えども」と、仲人なしに話をするというのがよほど気になるのであるが、「わが播州赤穂義士の一人たる堀部弥平翁が直接の談判により彼の名士たる安兵衛氏を婿養子に貰いたる佳例もこれあり候間」御返事を伺いたい、というのである。
 古風で頑固で義理堅い、それでも息子のことが可愛くて仕方がないという瑞太郎先生の人柄がよく伝わってくる手紙である。そうして、その頑固親父が仲人なしの縁談を、相手よりは自分に納得させるために持ち出すのが、巷説安兵衛婿入りの一席である。
 弥平に作っているのはご愛嬌。事実をいえば弥兵衛は仲介者を頼んでいたが、ここでそれをいうのは野暮だろう。通俗赤穂義士伝が広く知られ、親しまれていた例証として受け取っておけばよい。そしてまた、和辻倫理学の背景にこのような父親があったことも記憶しておきたいと思うのである。

 なお今回のネタ元は勝部真長『若き日の和辻哲郎』(PHP文庫、原題『青春の和辻哲郎』中公新書、いずれも絶版)である。