欧州忠臣蔵』という本がある。著者は三木愛花。と書くと、アイドル歌手かなんぞのように見えるかも知れないが、明治大正期に活躍したジャーナリストで、本名貞一の雅号である。
内容はヨーロッパの復讐物語、かと思うと、これも違う。スウェーデン王グスタフ1世(グスタフ=ヴァーサ)の伝記である。これに“欧州忠臣蔵”と命名した経緯は、序文に詳しい。
「余曽て史を読て」と愛花は書き出している。「千五百年代の時、瑞典(すうえでん)亡国の王子窩撤(うぁっさ)が民間より起て旧業を回復し独立国となる」ところに感激し、「一部の稗史」を物した。いまだタイトルを定めぬところに、たまたま訪れた友人(「客」と愛花は表記)が『欧州忠臣蔵』にしようと言い出した。「忠臣蔵の名は人口に膾炙しておるから、人の耳に入りやすかろう」と言うのである。
しかし、愛花は難色を示す。
「いいけどさ、名と実が一致しないのはどうかなあ。主君の仇を討った大石良雄らを忠臣と云うのはわかるけど、ヴァーサの業績はこれと異なる。むしろ大きいんだけど、忠臣とは言えないよね」
「さあ、そこさ。日本じゃあ忠臣といえば一主一君に忠なるものを言って、社稷国家に忠なるものを忠臣と言わない。楠木も忠だし大石も忠で、大小ありと雖も、いずれも一君一主に忠たるもの。それ以外にも忠臣はあるだろう。」
 勢いづいた客は、さらに饒舌。
「道鏡が皇位を窺ったとき、和気清麻呂が一身を顧みず大統をつないだのは、天威の存するによるとはいえ、清麻呂が大忠と言わざるを得ない。元寇に際し北条時宗が国威を張って外侮を受けなかったのは、大風の功があったとはいえ、北条の大忠と言わざるを得ない。清麻呂・北条などは大忠臣と言ってよかろう。一主一君に忠なる楠木・大石のようでなければ忠臣でないというのは誤解である」
と述べた上で、話は海外に転ずる。
「鄭成功が孤島によって明の社稷を存せんと欲する、ワシントンが七十余戦の艱難を経てアメリカの独立を成し遂げる、いずれも社稷邦家に大忠臣」とした上で、ヴァーサもまた「社稷邦家に大忠臣」だから、タイトルに忠臣の文字があってもよいのだと主張する。
 さらに畳みかけて「国乱れて忠臣現る、というが、それでは平時に忠臣はないか。廟堂諸公にしてしてよく太平を計れば忠臣ではないか。ヴァーサまた社稷国家に忠臣。題して忠臣蔵というのに何の不可があろうか」という。ついにこれに服したのである。
 この問答が実在したか、愛花の脳中でのみ行われたかは大した問題ではない。重要なのは「一主一君」に対する忠義の他に「社稷邦家」に対する忠義を認めるという論法である。これは恐らく忠義概念の拡大だ。急激に近代国家=国民国家を建設するに当たって、未成熟な「愛国心」を補うために活用されたのが「忠」の思想だった。本書が世に出たのは明治18年だが、その3年前の軍人勅諭は5箇条の第1に「忠節」を挙げる。理解されづらい愛国心を忠義で置き換えるのは、この当時としてはやむを得ないところがあったであろう。忠義といえば忠臣蔵を誰もが想起する文化環境の中で、本書のタイトルに忠臣蔵が選ばれたのは、当然だったのかも知れない。