表題は「仮名手本忠臣蔵」六段目で二人侍が切腹した勘平に言う台詞である。「いい気なもんだ」という感想をもらした人があるが、私も同感である。二人が勘平を追いつめた結果なのに、他人事のような言い方である。
 ただし、国立劇場の鑑賞教室で扇雀の演じた鴈治郎型の勘平を見たときの印象は、これと異なっていた。通常の菊五郎型では、「撃ち留めたるは舅殿」と言うと同時に刀を突き立てる。これに対して、鴈治郎型では「撃ち留めたるは」で口ごもり、千崎が「舅であろうが」と言い捨てて与一兵衛の死骸を改めている間に腹を切ってしまう。ちょっとした手順の違いであるが、菊五郎型の勘平が申し開きを始めた時点で死を覚悟しているのに、鴈治郎型では覚悟が定まらず衝動的に切ってしまった感じになる。
 どうせ覚悟が定まっていないのならば、千崎が改める間ぐらい待っていればいいのに、そうしないところがまさに「早まった」印象である。勘平のありようとしては菊五郎型の方が格好いいが、その分二人侍が割を食っている。
 原作の浄瑠璃では、申し開きの前に切腹してしまう。いちばん早いわけだが、いちばん覚悟が徹底してもいる。これを取れないのは人間が演ずるという制約のためであろう。型の善し悪しをいうのでないが、演出による違いというものを改めて感じた次第である。
2002年08月03日