歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』が浄瑠璃の本文に改変を加えている箇所は、かなり多い。六段目にも少なからずあるが、ことにおかやの愁嘆をカットしたのは大きな変更といえるだろう。
「ヤアもう聟殿は死なしゃったか。さてもさても、世の中におれが様な因果な者が又と一人有ろふか。親父殿は死なしゃる。頼みに思ふ聟を先立て。いとしかはいの娘には生き別れ。年寄ったこの母が一人残って、是がマア、何と生きて居られふぞ。コレ親父殿与一兵衛殿、おれも一所に連れていて下され」と取付いては泣さけび、又立上って「コレ聟殿。母も倶に」と縋付ては伏沈み、あちらでは泣こちらでは泣、わっと計にどふど伏、声をはかりに嘆しは目も当てられぬ次第なり。
なかなかの名文であり、この段の作意から言っても削るには惜しいのだが、勘平が死んでからでなければ使えない。役者本位の歌舞伎、勘平の落ち入りで幕を引くためにはカットせざるを得なかったのであろう。
浄瑠璃の本文では与一兵衛女房に名はない。彼女におかやの名を与えたのは歌舞伎だという。萱野三平の「かや」を効かせたのだろうが、田舎のお袋さんらしい絶妙のネーミングである(「お宮」だった時期もあるらしい)。聞かせどころを削られたのは残念だが、良い名を貰ったので埋め合わせはついているのかも知れない。
2002年07月01日