忠臣蔵にちなんだ古典落語の中でも、「淀五郎」は名作に数えられるだろう。

 名人・団蔵が忠臣蔵を上演するにあたって、判官役に抜擢されたのが茶屋のせがれの淀五郎。さあ張り切って臨んだのはよいが、四段目切腹の場で団蔵の由良之助が花道から近づかない。とりあえず芝居をすませて聞いてみると「由良之助は判官のもとへ行きたいのだが、団蔵が淀五郎のもとには行けない」という返事。要するに判官がまずいということで、数日間同じことが繰り返される。思いあまった淀五郎、刃傷の場で師直(団蔵2役)を刺し殺して自殺しようと思い詰め、世話になった仲蔵に別れのあいさつをしに行く。様子のただごとでないことを見てとった仲蔵は、事情を聞いて演技指導をしてくれる。翌日の判官の出来は素晴らしく、団蔵もついに通常通り本舞台にあがり「御前」と声をかける。
「由良之助か、待ちかねた」の台詞がそのままオチ。

 さて、この話は事実であろうか。主な登場人物のうち、市川団蔵(四代目)・中村仲蔵(初代)の2人は言うまでもなく実在した名優である。残る沢村淀五郎はどうだろう。
 本文(講談社文庫『古典落語』続々々)によれば、この話は森田座で忠臣蔵がかかった時のことという。『古今いろは評林』(岩波文庫『仮名手本忠臣蔵』収録)で見ると、安永8年(1779)8月16日から森田座は団蔵の由良之助で忠臣蔵をかけている。その時の判官が沢村淀五郎。ビンゴ!見つけたぞと思ったのだが、それほど単純ではなかった。
 本文通りならば、この時に仲蔵は市村座で座頭を勤めていたはず。ところが安永8年森田座の忠臣蔵では、仲蔵は師直・義平・平右衛門・定九郎の四役で一座していたのである。それだけではない。淀五郎はこれに先立つ安永3年の森田座で若狭之助を演じている。遅くともその時点で名題に昇進していなければおかしい。『いろは評林』はこのときの団蔵を「三代目」としているが、三代目は安永元(1772)年に没しているので、四代目でよいとしておこう。なお「渋団」と呼ばれたと本文にあるが、これは五代目の愛称である。

 結局のところ、沢村淀五郎が実在の役者であるという以上のことは何もわからない。もとより落語のことである。事実に基づいているという保証はない。ひょっとすると、すべてが創作だったかも知れない。しかし、この淀五郎なかなか魅力的なキャラである。演劇史に残る名優ではないが、落語のおかげで名が残った。誰か名跡を嗣がないかな、と思っている。