先日上田市真田町へ行った。大河「真田丸」で盛り上がっているかと思ったら、さほどでもい。その原因という訳ではないが、三谷さんは真田信繁で書きたい意向で、観光的に幸村にしてほしい地元とあまりしっくりいってないらしい。
確実な史料には幸村の名が見えず、本人の書いたものも信繁になっている、ということは歴史学者のみならず戦国ファン周知の事実。地元関係者ももとより承知である。ただ一般的な知名度は幸村だし、観光的にはこちらを使っていることが多い。
学問的には信繁の優位は疑いないが、文化的には幸村が圧勝。脚本をどっちで書くかは脚本家の方寸ひとつであるが、なかなかむずかしいところではある。
「歴史其侭と歴史離れ」忠臣蔵をめぐっても常に浮上する問題。