俵星玄蕃の初出をさがす、最終回。
藍泉の『節義録』以外にも‘田原’星玄蕃の載っているものが数種ある。なかで一番古いのが鶴声社『絵本義士銘々伝』で、以下同名4種は同内容。ほかに『赤穂義士大正記』がある。
これら諸書、田原星の件に限っていえば、まったくの同文である。おやおや、と思ってよく見ると最後に
「此一項は誠忠義士銘々画伝に載られしを爰に出して参考に供するのみ」
の一文が。なんだ、つまり『赤穂節義録』じゃないか。これはやや遅れる『大正記』も同様で、要するに明治15年からしばらくの間、『節義録』以外のタワラ星玄蕃物語のテキストが見当たらないということである。講談の義士伝で流布していたならば、別テキストが存在しても不思議はない。逆にいえば、かなりの確率で『節義録』がオリジナルだということになる。断定はしないまでも、俵星玄蕃は高畠藍泉の創作であるという推定は、かなり有力な説になりうるだろう。
鶴声社は梅亭金鵞と縁が深く『絵本義士銘々伝』にも序文を書いている。藍泉と金鵞の関係など、確認したいことはいろいろあるが、今は贅せず。ひとつだけ気になる点を挙げておくと、『絵本』の口絵にこのエピソードを取り上げたものがあるのだが、名前が室藤玄蕃になっている(ちなみに蕎麦屋は杉野重平次)。理由は不明だか、その時点でタワラ星がそれほど有名でなかったことの証左にはなろう。
藍泉の『節義録』以外にも‘田原’星玄蕃の載っているものが数種ある。なかで一番古いのが鶴声社『絵本義士銘々伝』で、以下同名4種は同内容。ほかに『赤穂義士大正記』がある。
これら諸書、田原星の件に限っていえば、まったくの同文である。おやおや、と思ってよく見ると最後に
「此一項は誠忠義士銘々画伝に載られしを爰に出して参考に供するのみ」
の一文が。なんだ、つまり『赤穂節義録』じゃないか。これはやや遅れる『大正記』も同様で、要するに明治15年からしばらくの間、『節義録』以外のタワラ星玄蕃物語のテキストが見当たらないということである。講談の義士伝で流布していたならば、別テキストが存在しても不思議はない。逆にいえば、かなりの確率で『節義録』がオリジナルだということになる。断定はしないまでも、俵星玄蕃は高畠藍泉の創作であるという推定は、かなり有力な説になりうるだろう。
鶴声社は梅亭金鵞と縁が深く『絵本義士銘々伝』にも序文を書いている。藍泉と金鵞の関係など、確認したいことはいろいろあるが、今は贅せず。ひとつだけ気になる点を挙げておくと、『絵本』の口絵にこのエピソードを取り上げたものがあるのだが、名前が室藤玄蕃になっている(ちなみに蕎麦屋は杉野重平次)。理由は不明だか、その時点でタワラ星がそれほど有名でなかったことの証左にはなろう。