こんばんはm(_ _)m
『生い立ち編』が始まってから10記事以上書いていますが………まだ幼稚園時期から抜け出しておりません………( ・_・;)
 
さて、
 
 
以降、ほとんど書いていなかった『父・A夫』を登場させようと思います。
 
 
祖母とのバトルの日々の中、育児放棄(ネグレクト)の父は『何をしていたのか?』(>_<)ゞ
 
父の日々のスケジュールは、
午後2時頃に実家に帰ってきてはゴロゴロしたり、時々わたしに構ったりして、祖母から簡単な夕食を作ってもらい夕方5時に出勤(?)していく。
一般的なサラリーマンのような背広姿は、見たこともありません。
頭は1ヶ月に一回美容室でパンチパーマ(?……だと思ってましたが、たぶん、長さ的にアフロ(^.^;)スタイル。
 
………こうして羅列してみても、普通の会社員じゃありません。
 
………そんな枠から外れた父の印象は、
 
『ルパン三世』。
 
(注・わたしの時代は、赤背広ルパンでした)
 
実際父は、男女共にモテモテで友人に囲まれ、常に飛び回っている生活スタイル。幼児のわたしや従姉妹のEちゃんに対しても、無邪気に接してくれた人で、
 
《大人だけど、子どもの味方》
 
と、認識していました。
 
わたしが祖母に叱られていると、
「まぁまぁ(^^;)」と、間に入ってくれたので、祖母も《孫の手》を持ち出してくる事はありません。
だから、父が仕事に出掛ける際に外から流れてくる5時の音楽放送を聞くと、父の足にしがみついていました。
 
「行っちゃやだ~!(>。<)」と、しゃくりあげていました。
 
父がバイクや車で出掛けて行くのを二階の窓から見送りながら「また来てね~!!」
と、手を振り続けていた思い出があります。
 
 
 
他に父との家でのエピソードは、
 
珍しく夕方一緒にお風呂に入ることになり、
昔のお風呂なのでお湯の温度の調整が自動で出来ず、
シャワーから出た熱湯を頭からぶっかけられた事がありました。
 
熱いやら痛いやらビックリして飛び上がって大泣きするわたしの様子(≧Д≦)に、指を指して大爆笑する父。
 
水をかけて冷やしてくれたので大事にはいたらなかったものの、
『ごめんね』も言わずに腹を抱えて笑い続ける姿に唖然となりました。
 
お風呂から上がった後も、
わたしの様子を物まねしながら面白可笑しく祖母に話す姿に不信感を覚えて、
 
「もう、お父さんと二度と一緒にお風呂に入らない(泣)(≧Д≦)」
 
と宣言し、それ以降、頑として入らなくなりました。
 
わたしとの思い出があまりにも少なかったせいか、
 
父はその後、親戚や友人との飲み会・宴会の席で事あるごとにネタとしてその時のわたしの様子を《オランウータンとそっくり》と称し、おどけて物まねを披露し続けたのでした。
 
 
 
☆あの頃の父に一言言わせてもらえるなら、
『子どもにだってプライドはある』んだよ~!!
 
です(>_<)ゞ
 
 
 
 
 
 
 


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