こんにちは。
前回のblog内容は、幼児期のトラウマ形成で一番具体的な内容になったな~と、思います。
 
この一件がかなり根深くて、
 
 
《とても嬉しい事や楽しい事があったとしても長続きはしない。その後に最悪な事が待っている》
《自分の発言や行動で、大好きな人が不幸になる》
《ルールを破ったら、最悪だ》
《浮かれて調子に乗ったら、痛い目をみる》
 
………などなど、羅列したらほとんど【呪い】(≧Д≦)のような定義が脳にインプットされてしまった経験だったと思います。
 
 
4歳だったわたし、頑張ったな~…。自分は『悪い子』だから仕方ないって諦めていたけど、
大好きな伯母さんが打たれているのを見てる方が、痛くて辛くて……
自分の精一杯で助けようとしたんだね。
 
《小さな(魂)勇気》ありがとう。
根拠も何もないわずかな自尊心を、大人になるまで持ち続けられたのは
《あなた》がいてくれたからですm(_ _)m(^^)。
 
 
 
そして、今回は『習い事』の話。
 
幼稚園に通うのと同じくして、春から習い事を従姉妹と一緒に始めました。
 
月・木とスイミング。火・金とモダンバレエ。
 
一回見学・体験をさせてもらってから習い事を開始したと思います。
 
なぜこの組み合わせだったのか理由は判りません。
まぁ、当時からスイミングは身体を丈夫にする、という定番理由があるものです。
 
わざわざ家からタクシーに乗って15分のスイミングスクールに通い始めました。従姉妹と一緒に初心者クラスからスタート。
 
天井近くの二階の窓の保護者観覧席から、祖母やA伯母さんが見守ってくれているのをくすぐったく感じながら、ばた足やビート板の使い方を教えてもらうのも、楽しかった。
 
でも、楽しかったのはそこまでだった。
 
競泳用プールの比較的浅い所にゲタのような形の広いマットを沈めて小さな幼児でも立てるようにしつらえていましたが、
 
わたしは人一倍、小柄でした。
 
他の4才児の胸の高さまで水がくるところが、わたしにとっては顎スレスレ状態なのだ。
 
プールサイドに掴まりながら顔を水面につけることは何とか出来るようになったが、
 
滑り台や潜って宝探し、飛び込み練習なんて始まったときは恐怖を感じた。
 
プールサイドから離れ、掴まるものが何もないプールの真ん中の所へ身を投げ出す行為が、とてつもなく怖い。
 
なまじヨチヨチ歩きでプールの中を輪になって歩いたときに浮力に足を取られてひっくり返り、溺れかけてからプールの塩素の臭いもダメになった。
 
飛び込み練習の列に並ばせられながら、どうしても怖さが拭えず後ろの子に
 
「お先へどうぞ(/_;)」と譲り続けて、結局一番最後に注目の中逃げられずに飛び込む羽目になる。
 
譲っている間、上を見上げると観覧席から祖母が鬼のような形相で、身振り手振りで「行け」と指示をしているのが見える。
 
そうして、ヘトヘト状態で時間を終えて更衣室に戻ってくると
 
顔だけ笑顔を作りながら、怒気を発している祖母が待ち構えているのだ。
 
祖母は他人の目がある間は怒鳴ったり殴ったりをしなかったので、家に着くまでは猶予があった。
 
家に着いたら《反省会》だ。
 
 
祖母は、親戚やA伯母さんにしきりに話していた。
「みっとも無いったらないのよ!飛び込みが出来なくて後ろの子にどんどん譲って自分は最後よ!
Eちゃんや同じ時期に入った子はどんどん先に進んで進級してるのに、いつまでも同じことを繰り返してるの。
自分より、後から入った子達が全然泣かないのに、あの子だけインストラクターの先生にコアラのようにしがみついて離れられないのよ!!恥ずかしいったら………(`ε´)」
 
忌々しげな祖母の視線に、わたしは自分が情けない気持ちで一杯になった。
 
 
初夏、従姉妹のEちゃんは進級でクラスと時間帯が変わり、わたしと祖母は2人だけでスイミングスクールに通うようになっていた。
 
その頃には、タクシーに乗っている間にスイミングスクールの茶色のビルが大通りの向こうに見えてきただけで泣き出す程になっていた。
 
タクシーの中で、「スイミングいやだ。行きたくない。休みたい(T^T)!」
 
とぐずりだすわたし。
祖母は、タクシーの運転手さんがうるさそうに「止めましょうか」と提案するのを笑顔で取り繕いながら、わたしの腕を強く握って泣きやませようと威圧していた。
 
毎回、攻防だった。
 
辞めたい!と、言うと
 
「今まで払った月謝が無駄になる。こんなに習ってて泳げないままで終わっていいのか。後から来た子に抜かされて悔しくないのか!」
 
祖母は、懇々と説教し、絶対に引き下がらなかった。意地のようになっていたと思う。
 
「なんで、スイミング習わせようと思ったの?」
 
しゃくりあげながら質問したら、 
 
「自分が泳げないから、あんたが泳げるようになれたらなって思った」
 
と、幼児のわたしが絶句してしまうような事を平然とつぶやいていた。
(余談ですが………祖母は、15年後に70過ぎてからシュノーケリングを南の海で覚えて泳げるようになった(・_・;))
 
 
 
秋になる頃には、ストレスで身体が限界になっていた。
 
タクシーから降りて、逃げ出さないようにスクールの正面口で待っているインストラクターにわたしを引き渡し、
保護者観覧のラウンジに向かおうとした祖母は、
ロビーでタオルを持ってバタバタ走り回るインストラクター達の様子を見て、おかしいな~…と思ったらしい。
 
観覧席から見下ろして、なかなか出てこなかったわたしがレッスンに参加せずに端っこのベンチで休み続けて、とうとうプールサイドに一回も近づかなかった日。
 
帰宅時間になって祖母は、わたしを連れてきたインストラクターから告げられた。
 
イ「この子は、もうスイミングを続けない方が、良いと思います」
 
祖「え。いつまでたっても泳げないからですか?
やっぱり先生や他の子達の足をひっぱってご迷惑かけてたからでしょうか?」
 
祖母が慌ててインストラクターに頭を下げているのが見えた。
 
イ「いえ、そうではなく。……吐いてしまうんです。
 
祖「……吐く?」
 
イ「今までにもプールサイドの端で吐いてましたが、近頃はその頻度が上がってて……。
今日は更衣室へ向かう途中、プールサイドへ着いてもいないのに吐きました。
プールの水を見ただけで、身体が強張って何を言っても反応しなくなってしまいました。
……この子の為にも、これ以上通わせるのは止めた方が良いと思われます」
 
祖「………………………(*_*;」
 
さすがの祖母も、それ以上食い下がることはできなかったらしいです。
 
いつもは家に帰ったら即説教だったのが、その日は静かでした。わたしは、ようやくスイミングから解放されました。
 
 
 
☆結局、わたしのスイミングスクールは、水恐怖症を作っただけでした。
 
後に、わたしは小学校の水泳授業の試練に合うことになりますが、
 
6年生になる頃の検定で自己流で25メートル(ばた足)を泳げるようになり、水恐怖症を克服していくのですm(_ _)mσ(^_^;
 
 
 
 
 
 
 


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