今更ながらの、《主要登場人物紹介》します。
 
生い立ち編は、わたしの記憶を掘り起こした主観で構成されています。
限りなくノンフィクションに近いフィクションである事をご了承ください。関係者の名前などはアルファベットや仮名で記載していきます。
 
 
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☆『わたし』・・・・『佐藤さん』のこと。7ヶ月の早産でクリスマスの日中に誕生。1000㌘未満の体重が、当時のNICUでの3ヶ月の入院をへて2500㌘くらいまで増えて退院出来る。奇跡の子状態だったらしい。
 
『味覚過敏』・『触覚過敏』・『聴覚過敏』・『視覚過敏』・『嗅覚過敏』等を幼少時から感じていたが、みんなも自分と同じ五感だと思い込んでいたので、
周りの人が平気な顔をしているのがスゴい。
自分は、我慢が足りないワガママ人間だと思って過ごす。
 
そもそも、何がどんな風にキツく感じるか言葉で説明するのに語彙が不足してるので、
 
「イヤだ」と、泣くしか出来ない(;.;)
 
母と共に過ごした期間は一年に満たず、写真も無かった為『母親』を知らずに育つ。
 
物静かな子だったが、3歳過ぎたあたりから爆発したようにしゃべり出したという。
うるさすぎて、よく怒られた。
ADHD(注意欠如・多動・衝動)の症状は、小学生になってから顕著に表れるようになり、通信簿に『困った子』として、色々先生から苦言を記載される。
同時に、LD学習障害(計算)で小学一年生にして勉強につまづき、落ちこぼれる。
運動面でも、頭で思い描いたことと身体の動きが連動しづらく、体も固かった為、落ちこぼれる。
 
中学年・高学年になるにつれイジメ問題に巻き込まれ、卒業するまで悩むことになる。
 
自分を『ドラえもん』に出てくる《のび太くん》とそっくりだと認識していた。
 
☆『祖母』・・・M代。大正12年、関東大震災後に生まれる。明治生まれの曾祖母の6人兄弟の長女として、家庭を手伝っていたらしい。テキパキとリーダーシップを取り面倒見の良い典型的な長女気質。学生時代も、クラスのリーダー的存在だったらしい。
 
宝塚などの煌びやかな芸能界に憧れオーディションも受けた事があるみたいだが、女学校卒業後に19歳で見合い結婚。第二次世界大戦中の疎開先で20歳にして伯母を、その二年後の終戦に父を産む。
 
東京の曾祖母の実家の隣に小さな町工場(作業所)兼家を建てて、祖父の起こした株式会社で生計をたてる。
 
当時の女性としては160センチの高身長と美貌を兼ね備え(モデルのようなポーズをしてる写真も実家にあった)、月に一回は六本木の美容室でショートスタイルを維持し、創作人形教室に通って作品を作っていた。(佐藤さんも、幼少時人形のモデルをした事がある)
 
祖父との結婚生活は、喧嘩ばかりだったらしい。(タンスの引き出しを祖父に向かってぶん投げたりするような人だ)
50代後半に祖父と死に別れてからは作業所をたたみ現場を縮小化して、孫の『佐藤さん』の面倒を見始める。
 
伯母によく旅行に連れて行ってもらい、70近い年齢でスキーやシュノーケリングを覚えるパワフルな人。
 
『佐藤さん』は、祖母を悪く言う人を見たことが無い。
 
《面倒見が良い立派な人》
 
それが、ご近所や親類縁者、世間一般の彼女のイメージだろうと感じている。
 
☆『父』・・・A夫。いわゆる団塊の世代。高度成長期、学生運動の時期に大学生という。日本の経済成長と共に大人になった人。
 
典型的末っ子気質の為、『困ったことがあったら、誰かが何とかしてくれる』でやってきた。
 
子どもの頃から頭が良いがガキ大将。悪さをして、祖父に庭の柿の木に繋がれたこともあるらしい。
中学生で不良の仲間入り。身体が小さかったが、後半ぐんぐん背が伸びてその地域の番を張ってた。高校生になっても継続し、大学も地元で、ろくに受験勉強しなくても入試突破したという。
 
近所に東大があったにも関わらず学生運動には参加せず、女性やギャンブルで遊んで過ごしていたらしい。
 
母と結婚したものの浮気癖は収まらず、3年以内に離婚になる。
 
祖父の会社を継いで社長になったので、会社勤め(サラリーマン)の経験は無い。
地元の祭が好きで、近所に住んでる昔の同級生を集めては、御輿や祭後の宴会を取り仕切った。
 
会社をたたんだ後は、タクシー会社の運転手として働き、丁度バブル期と重なってウハウハ過ごす。個人タクシーになった途端にバブルがはじけて色々大変な思いをして暮らす。
 
 
祖父も特許を取れる程の頭の良さと『変わり者』気質だったというが、
 
父も、『佐藤さん』から見るとジャイアンタイプのADHDだ。怒るスイッチや怒り方も、子どもに対して叱るというより、
 
自分のメンツやプライドをなどを重視していた。
 
 
今、『佐藤さん』はこの二人とは親交を絶っている。従姉妹や母を通して手紙を書き、遠回りをして実家側と絶縁宣言を三年前に行った。
 
だから、今現在、どうしているかわからない。
今にして思えば、祖母も父も《共依存》のようになっていた。
 
曾祖母の家があったから親類達は集まってきて我が家の様子を遠巻きに見ていたけど、
実際に実家に住んでいた家族は、すべて散り散りになり、父と祖母しか残されなかったのだから………。
 
 
 
 
 
 
 



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