わたしは、赤ん坊の頃の記憶がちらほら残っています。
 
オムツ換えされる時にお腹がグエッとなったとか、知らない人や慣れてない人に抱っこされるのが嫌で(匂いが違う)体を突っ張らせて密着しないように踏ん張るとか………あまり、覚えてても仕方ないようなものですね(^_^;)
 
聖母病院を出産予定だった3ヶ月後に退院したわたしは、母と父の暮らすアパートで当初住んでいました。
 
しかし、父も母も当時からヘビースモーカーで、よく部屋に友人を招き入れてはマージャンをし、お酒の匂いと煙草の煙が充満した中で寝かされているわたしの状況を見た父方の祖母が同居を提案。
祖母の家に暮らしだしたそうです。
 
祖父は、『再生不良性貧血』で入院していて、わたしがNICUに入っている頃に他界しました。最期まで、わたしの事を気にかけてくれてたそうです。頭が良いけれど、変わり者だったとの話し(祖母の談)。
 
未熟児で産まれたわたしを、
退院してからの数ヶ月、母は視力が落ちないようにあちこちの眼科に連れて行って検査してもらってたそうです。
 
 
そんな母ですが、わたしが1歳を迎える前に父と離婚して出て行ってしまいます。
当時は離婚自体が珍しく(世間的に醜聞に近いイメージ)、シングルマザーでは暮らしていけないとの祖母の勧めで、
母は、泣く泣くわたしを置いて行ったそうです。
 
母は自分の写ってる写真をすべて処分か持って行くかしたので、実家のアルバムには残されていませんでした。
わたしは、母が
『外国で仕事をしている』と祖母や親戚から聞かされ、それを鵜呑みにして小学6年まで過ごすことになります(後半は、さすがに何かおかしいとは思ってました。信じたい気持ちの方が強かったのですね(*_*;)。
 
離婚の原因は、これも後から判った事ですが、
 
父の浮気でした。
 
わたしが産まれそうで病院へ担ぎ込まれた時も浮気相手の所へいて、
 
祖父の臨終の際にも、遊び歩いていて間に合わなかった父。(『亡くなってから7日間、親父が夢枕に立って怒っているから、最後に泣きながら土下座した』と小学生の娘に言う父親って………どうかと思う。)
 
祖父の造った会社を引き継いで社長になった父は、経済力でわたしを引き取ったものの豪遊に拍車をかけます。経理関係を祖母に任せたまま、ほとんど家に帰ってきません。
 
たまに顔を合わせるとペットを可愛がるように接して、養育はすべて祖母に丸投げしました。立派な育児放棄(ネグレクト)です。
 
祖母にとっては、
昔から素行が悪く、中学・高校と不良グループのトップに立つほど近所でも有名になり、
 
学校、警察、その地域の昔堅気の方々にまで謝りに出向いたことがあるそうで、
 
また今回も……息子の尻拭いか……という心境だったろう……(´Д`)
 
 
そして、わたしはと言えば、
 
昔ながらの世間一般の子どもとは逸脱する、『問題多き幼児』として祖母を悩ませる存在になっていくのです( ・_・;)。
 
 
 
 
 
バンザ~イ『トラにゃん』で和みましょ~(*^▽^*)
 
 
 
 
 
 
 
 


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