「大老・酒井忠勝」
1、 「はじめに」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2
2、 「酒井忠勝の幕政時代」・・・・・・・・・・・・・・3
3、 「忠勝の出自から武将形成」・・・・・・・・・・・・13
4、 「老中罷免から大老就任」・・・・・・・・・・・・・24
5、 「幕政家光、家綱の信任」・・・・・・・・・・・・・32
6、 「家光は右手に讃岐・左手に伊豆」・・・・・・・・・41
7、 「家光よりお主徳川家の良粥」・・・・・・・・・・・57
8、 「忠勝の幼君を思う忠臣を披露」・・・・・・・・・・65
9、 「忠勝将軍とも言えども出来ぬ事を教え」・・・・・・78
10、「小浜藩政で一揆」・・・・・・・・・・・・・・・・86
11、「甲州武士が忠勝は信玄に似たり」・・・・・・・・・89
12、「大名の相撲取り組」・・・・・・・・・・・・・・・117
13、「著者紹介」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・153
1「はじめに」
酒井忠勝(1587~1662)江戸幕府前期の老中、大老。若狭国小浜藩主。三河国西尾に生まれる。酒井忠利の嫡男。讃岐守。徳川秀忠に仕え、1620年(元和6)徳川家光に付属。1622年武蔵国深谷一万石城主。家光3代将軍襲職に伴い1624年(寛永元)家光付き年寄(老中)となる。1627年父の遺領を合わせ武蔵国川越8万石の城主。1632年2万石加増。従4位下侍従に叙任。若狭国小浜11万石3500石に転封、1636年下野国佐野で在府料1万石加増。1638年に大老に。1645年(正保2)後光明天皇の即位に上使として上洛し、従4位上少将に叙任。1656年(明暦2)に隠居。1660年(万治3)剃髪し空印と号す。なお同時代に同姓同名の出羽国庄内藩主酒井宮内大輔忠勝がいる。