山内

大峯山寺本堂へは、吉野山からの尾根道もあるが、一般の参拝者は麓の天川村洞川(どろがわ)から山上ヶ岳を登る。洞川からは徒歩約4時間。登山口の大峯大橋からでも片道約3時間の登山となる」母公堂を過ぎて大峯大橋の先にある「女人結界門」から先は、女人禁制の習慣が今でも守られ、女性の入山は禁止されている。

日本各地のかつて女人禁制とされていた他の仏教系の霊場は今日男女の区別なく公開されているが、大峯山寺は現在も女人禁制を守っている。1,300年来の伝統を守るべきだとする意見がある一方で、女人禁制は女性に対する差別であるとして反発する動きもある。

大峯大橋から大峯山寺本堂への登山道は整備され、途中にはいくつかの茶屋が設けられている。大峯大橋から一の瀬茶屋跡、一本松茶屋を経てしばらく行くと、「役行者お助け水」と称する水場がある。そこからさらに行くと洞辻(どろつじ)茶屋があり、ここで吉野山からの大峯奥駈道と合流する。その先にはダラニスケ(ダラスケ)茶屋という、麓の薬店(「陀羅尼助丸」という医薬品を製造販売している)が建てた茶屋が2ヶ所に分かれてある。

茶屋はすべて登山道を覆うように建てられており、必ず建物内を通過することになる。その先には「油こぼし」「鐘掛岩」「西の覗き」などと称される鎖場の難所(表の行場)が続く。中でも「西の覗き」と称される行場は著名で、これは絶壁の縁から命綱をつけて身を乗り出し、仏の世界を垣間見ようとするものである。難所にはすべて安全な迂回路が整備されている。

「西の覗き」を過ぎると後述の護持院によって運営される5軒の宿坊が建ち並び、その先に本堂が建つ。本堂裏手には鎖もない断崖絶壁で命綱もつけずに修行をする「裏の行場」がある。西の覗きは先達(案内人)によって命綱が支持され、裏の行場は先達の案内なしでの立ち入りが禁止されている。

なお、大峯山寺本堂について「日本最高所にある重要文化財建造物」等と紹介されることがあるが、現在重要文化財指定の建造物で最も標高の高い地点にあるのは、富山県立山室堂である。

宿坊

大峯山寺は、「護持院」と称される5つの寺院が交替で維持管理に当たっている。護持院は桜本坊金峯山修験本宗)、竹林院(単立)、東南院(金峯山修験本宗)、喜蔵院本山修験宗)、龍泉寺真言宗醍醐派)の5か寺である。

うち龍泉寺は山上ヶ岳の麓の天川村洞川(どろがわ)に本寺があり、他の4か寺の本寺は吉野山にある。大峯山寺本堂の手前5分ほどのところにはこれら5か寺の宿坊が固まって立地している。(営業期間は、5月3日~9月21日まで)。宿坊であるので、宿泊施設1階の食堂に面して本尊が祀られており、喜蔵院には蔵王権現が、他の4宿坊には神変大菩薩が安置されている。

すべての宿坊は信者だけではなく一般登山者も山小屋代わりに宿泊でき、山頂に近い立地にもかかわらず風呂があるがサービス施設でなく精進潔斎のための施設とされている。

食事は精進料理であるが、量は多くなく質素な内容である。女人禁制の区域にあるため宿泊者は男性に限られる。そのため浴室の更衣室が通路や玄関から丸見えの宿坊があるなど、女性がいないことを前提とした造りが見られる。(宿坊の申し込みは護持院である5か寺へ)

建造物

本堂(重要文化財)

元禄4年(1691年)に再建。山上蔵王堂とも呼ばれる。規模は約23×約19メートル、棟高約13メートルの寄せ棟造りである。銅瓦および銅板葺き。内陣部分は元禄4年の建立だが、その後宝永3年(1706年)にかけて外陣部分の拡張が行われている。

本堂として734年天平6年)創建以降も、何回も火災を蒙り平安時代に一、二度焼失し、鎌倉時代初期までは3×4間ぐらいの規模であったとされる。戦国時代の1534年天文3 年)に、一向宗本善寺僧兵門徒に焼き討ちされ、1616年元和2年)に快元(木食上人・1573-1624頃の僧)により再建されたとされる。

 

8「修験道」

修験道(しゅげんどう)は、山へ籠もって厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを目的とする日本古来の山岳信仰が仏教に取り入れられた日本独特の宗教である。修験宗ともいう。修験道の実践者を修験者または山伏という。

概要

修験道は、森羅万象に命や神霊が宿るとして神奈備(かむなび)や磐座(いわくら)を信仰の対象とした古神道に、それらを包括する山岳信仰仏教が習合し、さらには密教などの要素も加味されて確立した日本独特の宗教である。

日本各地の霊山を修行の場とし、深山幽谷に分け入り厳しい修行を行うことによって功徳のしるしである「験力」を得て、衆生の救済を目指す実践的な宗教でもある。

この山岳修行者のことを「修行して迷妄を払い験徳を得る 修行して その徳を驗(あら)わす」ことから修験者、または山に伏して修行する姿から山伏と呼ぶ。修験とは「修行得験」または「実修実験」の略語とされる。

修験道の修行の場は、日本古来の山岳信仰の対象であった大峰山(奈良県)や白山(石川県)など、「霊山」とされた山々であった。中でも、熊野三山への信仰は、平安時代の中期から後期にかけて、天皇をはじめとする多くの貴族たちの参詣を得て、隆盛を極めた。

修験道は神仏習合の信仰であり、日本の神と仏教の仏(如来・菩薩・明王)がともに祀られる。表現形態として、権現(神仏が仮の姿で現れた神)などの神格や王子(参詣途上で儀礼を行う場所)がある。

神道で用いられる祭祀や祝詞大祓詞など)をしない行事もあれば、祝詞・祓詞・加持・祈祷も行う行事・儀式もあり、経典で示されるものや真言を唱えるものばかりではない。