第2戦隊による報告

14時56分に「左八点一斉回頭」を行い単横陣となった第1戦隊各艦の後尾を通過する第2戦隊は東南東へ直進を続け、バルチック艦隊に3,000mの距離で攻撃を加えた。

バルチック艦隊はしばらく右回頭を続けたため、第2戦隊も南東に進んで敵の先頭を巡り攻撃した。

バルチック艦隊はさらに右へ回頭し第2戦隊から離れたため、第2戦隊は15時10分に砲撃を中止し「左16点逐次回頭」を行い、15時16分に針路を西北西とした。

15時20分に北方へ向かうバルチック艦隊を左舷正横やや前方に認め、距離6,000mで砲撃を再開した。15時26分には距離3,100mまで近づいたが、バルチック艦隊は濃霧と爆煙で見えなくなり砲撃を緩めてマストの旗を頼りに砲撃を続けたが、15時34分には左舷に「クニャージ・スヴォーロフ」を発見し、1,700mという至近距離で砲撃を加えたがほとんど反撃が無いことから砲撃を中止した。見えなくなった敵主力は第2戦隊の後方から北方に逃れると考えられ、同時に第1戦隊が引き返してきたことを確認したため15時47分に右へ回頭して北東へ針路を取り、第1戦隊の左前方に入った。

佐藤の証言

1935年(昭和10年)に記録された「日露戦役参加者 史談会記録」による佐藤の証言によれば、「クニャージ・スヴォーロフ」は14時50分の段階でまだ列の戦闘にいて、そこから舵の故障で左折して後続の艦が列を乱したとしている。

第2戦隊の「左16点逐次回頭」には触れているが、バルチック艦隊主力の行動については触れていない。

追撃

16時15分、第1戦隊は東北東に変針し敵と接近を図った。バルチック艦隊は隊列が乱れ四分五裂となっており、特に両艦隊の間に入り込んでしまった「クニャージ・スヴォーロフ」は更なる集中砲火を受けて悲惨な状況となった。

バルチック艦隊は緩やかに右へ回り、第1戦隊も16時24分にはおおよそ東に向かった。

第1戦隊に先行していた第2戦隊は16時30分に敵を見失った。バルチック艦隊は右へ回り続けたため、第1戦隊は敵がまた後尾を回って北へ逃れようとすることを慮り、16時35分に「左八点一斉回頭」を行ったが、バルチック艦隊はこれを見てか北進を止めた様子を認めすぐに単縦陣へ戻ろうとしたが、「右八点一斉回頭」の信号を各艦が確認するのに手間取り一斉回頭を行えたのは16時43分であった。この間にバルチック艦隊を完全に見失ったため、第1戦隊は16時51分から南に変針した。第2戦隊はこれに先立って南へ向かっていたものの、北方へ向かう第1戦隊を見失いかけたため16時47分に北西へ向かって第1戦隊に近づこうとしたが、南方からの砲撃音と第1戦隊の南進が確認でき再び南方へ向かった。

第3・第4戦隊は反航戦から同航戦に移りつつ攻撃を繰り返し、16時20分には曳船「ルーシ」を撃沈し、仮装巡洋艦「ウラル」や工作艦「カムチャツカ」にも損害を与え脱落させた。第5・第6戦隊も攻撃に加わったが、16時40分に南下してきたバルチック艦隊主力の一部と遭遇し、巡洋艦「浪速」が浸水するなど被害を受けたため一旦退避した。

この時にバルチック艦隊は主力と巡洋艦・特務船が合流し、北へと針路を変えた。

また第3戦隊旗艦の巡洋艦笠置は15時7分ごろ水線部に受けた損傷で浸水がひどくなり、18時に油谷湾で修理を行うため離脱した。これには護衛と第3戦隊司令官出羽重遠の移乗のため巡洋艦「千歳」が同行し、巡洋艦「音羽」、同「新高」は臨時に第4戦隊に合流した。

「クニャージ・スヴォーロフ」は上部構造物のほとんどを破壊され海上を漂うようにしていたが、17時30分頃駆逐艦「ブイヌイ」がこれを発見、ロジェストヴェンスキーや幕僚らを移乗させて他の艦を追った。

ロジェストヴェンスキーは頭部に負傷を負って意識を失いかけており、指揮権をネボガドフに譲った。

「クニャージ・スヴォーロフ」はその後も攻撃を受け、最終的に第5戦隊に随伴していた第11艇隊の魚雷により19時20分、沈没した。またそれより先の19時ごろ、その周辺に漂流していた「カムチャツカ」は第4戦隊などの攻撃により沈没している。

第1千体は17時28分には南進を続ける第2戦隊と分離して北北西に向かった。第1戦隊は17時40分ごろには孤立していた「ウラル」を撃沈した。さらに17時57分、ほぼ同方向に進むバルチック艦隊を発見して砲撃を再開した。

この時のバルチック艦隊のうち、「クニャージ・スヴォーロフ」と「オスリャービャ」を除いた主力艦10隻は「ボロジノ」を先頭としてそれに「オリョール」が続き、損害の大きな「インペラートル・アレクサンドル3世」などが後方に回っていた。

第1戦隊は当初「ボロジノ」に攻撃を集中し、爆煙で照準が困難となったあとは主に「オリョール」を狙った。この際は距離が詰まらず、18時45分以降、第1戦隊は主砲のみでゆっくりとした射撃を行った。19時頃には「インペラートル・アレクサンドル3世」が大きく左へ列外に出てから沈没した。それに後続して列外に出た海防戦艦「アドミラル・ウシャーコフ」、戦艦「ナヴァリン」、同「シソイ・ヴェリキー」、一等巡洋艦「アドミラル・ナヒーモフ」はそのまま南方に逃走しようとしたが、敵艦が見つけられなかったために北上してきた第2戦隊を発見して再び北へ向かった。

しかし残りの主力艦と合流しきれず、夜間に四散して各個撃破された。日没を迎えた後も砲戦は続いたが19時10分に「三笠」は砲撃を中止し、後続の各艦もそれに倣い19時20分に砲戦が終了した。

しかしその時、「ボロジノ」は最後の被弾が弾薬に引火し2回の大爆発を起こし転覆、沈没した。

日本側はこの27日昼間の戦闘を一まとめに第1合戦としており、以降の戦闘にも発生順に数字をつけている。

連合艦隊の戦艦・巡洋艦は翌日の戦闘に備え鬱陵島に向けて移動を開始し、昼間は所属戦隊に付随していた駆逐隊と水雷艇隊は、日没に備えてバルチック艦隊の周囲に接近し、完全に暗くなると北・東・南の三方から次々と襲撃に移った。