第2戦隊は被害を抑えるために右変針で敵からやや距離を取った後、14時15分から回頭を開始し第1戦隊の航跡の後ろに付き、発砲を始めた。

同航砲撃戦

バルチック艦隊の第1・2戦艦隊は単縦陣への陣形変更を早く終えようとしたが、「三笠」が回頭し始めた時点で第1戦艦隊の殿艦である戦艦「オリョール」と第2戦艦隊の先頭艦である戦艦「オスリャービャ」が並走しており、陣形が整わないうちに砲撃を始めていた。すでに「クニャージ・スヴォーロフ」は「オスリャービャ」の前に割り込んでいたため、「オスリャービャ」はし右に蛇行し速度を落とさざるを得なかった。

「クニャージ・スヴォーロフ」は左前方斜めにいる「三笠」の横正面になる形となったため右に変針し並航となるようにし、単縦陣を整えて同航砲撃戦に入った。

14時20分、第1戦隊はバルチック艦隊との間合いを距離5000mへ詰め、同航砲撃戦は最高潮となり三笠の被弾も急増した。

その後30分間、両艦隊は何回か浅い角度の右転針を行ったが、バルチック艦隊主力の速度11ノットに対して第1・2戦隊は15ノットであり、「三笠」は常に敵の先頭の「クニャージ・スヴォーロフ」の左前方を斜に圧迫し、徐々に先行した。

14時27分、第2戦隊所属の装甲巡洋艦「浅間」が被弾により舵機を損傷し戦列から離れた。

しかしこれを除けば、連合艦隊は各艦の戦闘力を維持した。これに対してバルチック艦隊主力艦は多数の被弾により急速に戦闘力を失っていった。

バルチック艦隊主力後方の艦は徐々に先行する「三笠」へ向けて砲撃が困難となり、前方の艦も被弾で砲撃が減り、「三笠」の被弾は峠を越えた。

14時35分、連合艦隊第1戦隊は東へ転針を行った。14時43分には東南東へ転針を行った。

これによりウラジオストックへ向かおうとする同艦隊の北進路も遮蔽していった。この間にも連合艦隊の砲弾は舷側を撃ち抜くなど着実にバルチック艦隊各艦をとらえ、14時50分、「クニャージ・スヴォーロフ」と「オスリャービャ」は甲板上や艦内の各所で火災を起こしながら右へ大きく回頭して戦列から離脱した。オスリャービャは舷側被弾口からの浸水への対処が進まず致命的になりつつあった。

この30分間の砲戦で、バルチック艦隊は攻撃力を甚だしく失った。

連合艦隊の第3・第4・第5・第6戦隊は大回頭に参加せずバルチック艦隊の後方を回り、14時45分に第3・第4戦隊が主力艦隊の右方にいたバルチック艦隊の巡洋艦・特務船に対する攻撃を開始した。

第2戦隊の独断専行

「クニャージ・スヴォーロフ」の急な右回頭は舵の故障によるもので、回頭を続けていた。「クニャージ・スヴォーロフ」に続くバルチック艦隊の2番艦、戦艦「インペラートル・アレクサンドル3世」の艦長ブフウオトフ大佐はすぐにこれを見抜き、事前の取り決めどおり自身が先頭に立つことを決め、東南東の針路を保持した。しかし「インペラートル・アレクサンドル3世」も集中砲火を受けて列外に出た。

14時55分頃、後を引き継ぎ先頭に立った戦艦「ボロジノ」艦長セレブレーンニコフ大佐は左へ回頭し北へ変針し、第1戦隊の後を進む第2戦隊の右舷へ向けて突進する形を取り、第2戦隊が行き過ぎたその後方をすり抜けようとした。これに対応するため、東郷は第1戦隊に「左八点一斉回頭」(全艦左へ90度一斉に回頭)を命じ、第1戦隊は14時58分に各艦が変針を行った。

第2戦隊の上村はこれに一旦倣おうとして旗旒信号まで出したが、「ボロジノ」が右へ針路を変え南方へ逃走することを防ぐため、信号を取り消して直進し、17ノットに速度を速めた。

「クニャージ・スヴォーロフ」の脱落後は「インペラートル・アレクサンドル3世」や「ボロジノ」がバルチック艦隊の針路を決めていたが、乗員が後の沈没時に「ボロジノ」の砲員1人を残して戦死したため、正確な航路やその意図を測ることは不可能になっている。

この後の展開は第1戦隊と第2戦隊の報告が食い違ったものになっており、日本側の戦史では両方をそのまま掲載してしまっている。

ただし海戦図として残されたのは第1戦隊のものが基礎となっている。また第2艦隊先任参謀であった佐藤鉄太郎はさらに異なった証言を残している。

この最中の15時7分あるいは同10分には「オスリャービャ」が沈没している。またバルチック艦隊の後方で離れて航行していた病院船「アリョール」と同「コストローマ」は、15時30分に仮装巡洋艦「佐渡丸」や同「満州丸」に捕捉され、臨検のため荒れた外海から三浦湾に移動させられた。

第1戦隊による報告

第1戦隊は、14時58分に「左八点一斉回頭」を行い北東に進む単横陣となったが、第2戦隊が敵との間に入り込んでしまったため砲撃を一旦停止した。

15時5分に北進する敵の前面に出るため「左八点一斉回頭」を行い、装甲巡洋艦日進を先頭にした逆順単縦陣となり西北西に進み、15時7分に左舷戦闘を開始した。

北進するバルチック艦隊主力は北進を一旦断念し「ボロジノ」が避けるように右へ回頭しバルチック艦隊主力は一時的に東進し反航戦の態勢となった。

この頃「インペラートル・アレクサンドル3世」が先頭に復帰した。その後、バルチック艦隊主力は北からの日本の艦隊の攻撃を避けるように右へ右へ回頭を続け、乱れた艦列をまとめ再び北進への隊列を整えようとした。

第1戦隊は反航戦を行いながら西北西への直進を続けた。この戦闘の終盤では、機関の調整によって操船の自由をある程度取り戻し北進する「クニャージ・スヴォーロフ」を発見し砲撃を加えたが、東郷は「クニャージ・スヴォーロフ」が既に戦闘力を失っていると判断し砲撃を切り上げた。他の敵艦主力は後方に遠ざかり見えなくなった。

第1千体は「差は地点一斉回答」を2回行い、15時49分には「三笠」を先頭にした単縦陣に戻り、北東へ針路をとった。15時55分、第1戦隊は東微南約7,000mに北方へ遁走する敵艦主力を発見、16時1分に距離6,500mで砲撃を再開した。

「クニャージ・スヴォーロフ」は孤立したまま北東に針路を取り、主力の前方を進んだ。