「清華家の一つ。始祖は藤原北家閑院流の公実の三男西園寺通季(1090~1128)。家業は琵琶。通季の曾孫西園寺公経は、源頼朝の同母妹と一条能保との女全子を妻にした縁から、幕府と強く結びつき関東申し付の任に就いた。承久の乱では後鳥羽院と尾は一戦を画し、乱後、女倫子と九条道家と子三寅を鎌倉幕府の第4代将軍(九条頼経として、幕府との連携を一層強固にした。さらに公経は、後堀河の天皇即位を進言して実現させた。また後嵯峨天皇の孫女の姞子を入内させ、天皇の外戚の地位をも獲得し摂関家を凌ぐ家勢を確立した。両統双立期にあっても、皇位継承を幕府に取り次ぐ家として、大覚寺・持明院両統との結びつきを維持した。家名は、公経が北山の別荘に建立した西園寺に由来し。九条道家失脚後は関東申し次の地位を独占世襲し、実氏、実兼、公衡、実衡の代々に渡り幕府滅亡まで公武交渉の要の位置に有った。西国中心に、海上交通の要の位置に有って大規模な家領を保有。南北朝期以降は、家勢は衰えたが、近代には侯爵家として、元老西園寺公望を出している。