松本市里山辺2940
恵日高照山 兎川霊瑞寺(兎川寺)
(真言宗智山派)
本尊 千手観音
脇立 不動明王 毘沙門天
当山は聖徳太子の創建と伝えられ
飛鳥文化はなやかな千数百年前に開山された。
中山に真言・天台両宗派合わせて二十四坊からなる大伽藍であり、広く信仰を集めていた。
長い歴史の中で南北朝時代の天台宗院の衰えや戦国時代の戦禍を受けながらも歴代松本城主の帰依・領民の信奉によって永く法燈を伝えて来た。
明治の廃仏毀釈令により廃寺と成り一時山辺学校の教堂として使われたものの檀信徒諸家のあつい信仰の力によって現在の姿が残されている。
今の本堂は文政3年(1820)寺社建築の立川流初代立川和四郎富棟とともに江戸後期に活躍した諏訪の宮大工藤森廣八包近の建立による。(説明板)に加筆

説明板

本堂
石川数正夫妻供養塔
石川数正(1533~1593)
天文18年、家康(当時は竹千代)が駿府へ送られるとき供奉。人質生活を共にする。永禄12年、叔父家成に代わって西三河の旗頭となる。小牧・長久手の戦い後出奔し、秀吉につく。泉州に8万石を給され、小田原合戦ののち信濃松本8万石に移される。文禄2年卒す(または文禄元年)


旧山辺学校(歴史民族資料館)
兎川寺の向かいにあり、校舎は洋風八角高楼付校舎で1885年、教育を重視した地元の人々の努力により建設され翌年開校。当時、旧開智学校の「ギヤマン校舎」に対し「障子学校」と呼ばれた。1982年~1983年に全面解体復元工事が行われ歴史民族資料館として整備された。1985年に県宝の指定を受けた。棟梁は地元出身の佐々木喜十である。
