アパシー=無気力。

 

昔、高校の新聞部の勧誘で「書くことこそアパシーをつぶす」とありましたが…。新聞部=オタクとかってに思い込み、彼らのすごさに気が付かずにいました。

 

いま、とっても無気力です。
以前は、なにかしら目標があったり、好きな人がいたりして、生活にハリがあった。彼はいるけど、昔のドキドキするような恋愛の仕方とちがうし。

 

ちょっとミドルエイジクライシス?的な感じなのかな、と思います。

 

考え方を変えれば、以前はなにごともいっぱいいっぱいで、ギリギリの生活だった。そして失恋したり転職するたびに海外旅行に言ったり引っ越ししたりして、憂さ晴らししていた。だから貯金がなーい!!

 

今の虚しいくらいな余裕のある状態にあまり慣れていないんですよね。本当は幸せなのかな、とも思う。

 

 

小説講座を受講しているわけですが、書いたこともなく読書量も人並以下のわたしがとつぜん上級者向けのコースに申し込んでしまい(主催の作家さんのファンだったので)もう泣きそうです。2回目の課題の講評が返ってきましてね。自分でも自信のないものを出してしまい、添削してくださった方も、つまらなすぎて講評のしようがなかったろうなーと思いました。出すまでにかなり考えたんですけど、わたし、起承転結の「転」がでてこないんですよ。じゃあなんで小説なんか書こうとしてるんだって。いや、やっぱり、書籍の出版目指すなら、まずは小説なのかなって、思ったんですよね…。

 

私って、ほんとにスッカラカン。

創作するって、なんてつらいんでしょうか。

 

私が書くことが好きになったきっかけは、中学校の頃、毎日書いて先生に提出していた「生活記録ノート」です。出すと先生が赤ペンでコメントをくれるのです。それだけじゃなくて、私の生活記録ノートを隣の席の男の子がいつも読んで、なんだかおもしろがってくれていました。私はその隣の席の男の子に恋心を抱いていました。それもあって、書くことがとても楽しく好きになりました。最近では看護学校のときの修学旅行の思い出作文なんかをおもしろがってもらったり(決してクラスで目立つタイプではないです)。そういうのが嬉しかったんですよね。

 

 

 
 
 
 

 

いま、この本を読んでいて。
著者の町田康さんのスタンスにすごく励まされています。なんていうか、自分を見失ってはつまらないな、と思ったんです。私は言葉も知らないし、教養も浅いけど、なにかを体験して、自分にはどう見えたか聞こえたか感じたかを表現できることが楽しいし、それを人と交流できるのが楽しいなと思っている。読書会だとか、映画の感想交流なんて言うのも、けっこう競争的になりやすいけど、それぞれの感じ方に人生が出るというか、そんな気がしているので、いつか、気の合う読書仲間ができたら、読書会サークルみたいなのをやれたらいいなあ。

 

いま、「ZINE」という文化もあります。同人誌、よりもうちょっとペラペラな冊子。友人が、自分のサークルでやっているのをみまして。仲間ができたら、そういうのを季節に一回とか発行して読みあうのも楽しそうだなあ。お、思わず人生の目標ができちゃった。

 

あとね、大学の文学部で学びたいという欲求もある。通信制の文学部がいくつかあるんです。大学中退してしまったのもあり、ちゃんと一年生から学びなおして、卒業論文をかいてみたい。小林秀雄とか、専門的に学んでみたい!!そこで読書会仲間ができたらいいなとも思っている。

 

やりたいこといろいろあったー!

日々の仕事と、健康と、家族を大切にしながら、コツコツと続けていけたらいいな。