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帰りは大観山の山頂からそのままターンパイクを下って小田原厚木有料道路へ抜け、厚木ICから東名高速道路へ入って東京へ帰ってきました。
Aさんと弟を近所まで送り、お礼を述べて二人と別れた私は、まだ日が高かったこともあり、その足で秋山さんの眠る豪徳寺へ赴いてみることにしました。

豪徳寺を訪れるのは、親父が亡くなった翌年、平成16年のゴールデンウィーク以来6年ぶりのことです。
近所にある世田谷区役所の駐車場に車を停め、10分ばかりてくてくと歩くと、豪徳寺の山門に到着します。
6年前ここを訪れた際には、墓前に捧げる線香と生花を門前のお花屋さんに寄って買って行ったことを覚えていましたので、今回も、と思って門前までやって来たのですが、この6年の間にそのお花屋さんはなくなってしまっていました。

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「あれ、なくなっちゃってるよ…。」
前に来た時はここにあったのに…。
と、そう思いながら、手ぶらでここまでやって来てしまったことを少し後悔しました。
6年もたてば、こんなところでも様子が変わってしまうのですね。
手ぶらでお墓参りってのも変だよなあ…、とも思いましたが、辺りに代わりになるお花屋さんがあるかどうかも分からず、仕方なくそのまま何も持たずにお寺の門をくぐりました。

6年前に思いがけず見つけた井伊直弼の墓所は、この6年の間に国史跡として指定され、改装中でした。

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一方、6年前には改装中だった三重塔?は、もうすっかり改修が終わっていました。

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(6年も経つと、結構あっちこっち変わるもんなんだねえ…。)
秋山さんの墓所へ向かう前に、ちょっと寺内を遠回りしてぶらぶらと散策しながら、たった6年という短い歳月でも世間というのは案外変わって行くものなのだ、と改めて感じていました。

やがて、秋山さんの眠る墓所へと辿りつきました。
そこには、6年前に訪れた時と同じように、緑青で緑色になった秋山邦彦像が静かに佇んでいました。
まるで秋山さんがそこに佇みながら、昭和から平成に至る50年という歳月の変遷を、静かに見守り続けているかのように私には思えました。

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「秋山さん、ご無沙汰しております。手ぶらでごめんなさい。時間がかかりましたけれど、今日やっとあなたの事故現場がどこだったのか、明らかにすることができましたよ…。」
秋山さんの墓前に座った私は、静かに心の中でそう呟きながら、手を合わせました。



「私の子どもなんか、私の若いころのことなんかに全然興味持ったりしませんよ。いくらお父さんの若い頃のことだからって言っても、なぜあなたはそんな昔の事を一生懸命調べてみよう、なんて気になったんでしょうねえ?」

少し時間が遡りますが、Aさんと弟を車に乗せ箱根へ向かう途中、休憩で立ち寄った高速のSAで、煙草を吸いながらAさんはそう私に尋ねて来られました。

Aさんにそう言われた私は、少し考えてから言いました。
「…私たちって、3人兄弟なんですよね。」
そう言って隣に立つ次男を指差し、
「これ、次男で、名前を健二っていうんです。」
はあ、健二さん、と私の話を聞きながら、Aさんは相槌を打ちます。
「で、これの下には三男がいて、名前は貴光っていうんですよね。この二人の名前は親父が自分で考えて付けたものなんだそうなんですよ。」
ふむふむ、とAさんは頷きます。

過去記事「名前の由来」で私は、私の二人の弟たちの名前は、1960年の欧州遠征で同僚として親父と一緒にヨーロッパへ赴き、日本人初の3位表彰台を獲得した田中健二郎さんと、同じく日本人初の優勝者となった高橋国光さんに由来するものなのではないか、という推理を展開していました。
だから、次男の名前には田中健二郎さんから健二、三男には橋国さんから貴光と付けられたのではないか。
そう私は思っている旨を説明しました。

「で、私の名前って、昭彦って言うんですね。」
そう自分を指差しながら私は続けました。
「私の名前は、この二人と違って私の祖父が付けたものなのだ、って話を私は母から聞いているんですが…。」
そう言って私は一拍置き、
「私のこの名前って、実は秋山邦彦さんに由来するものなんじゃないのか、って気が私するんです。」

私の説明を聞いていた弟が「あっ、なるほど!」という顔をしました。

「根拠として考えられるのは…」と私は続けます。
…私が生まれたのは1964年で、1959年の秋山さんの事故から5年しか経っておらず、記憶がまだ新しかったのではないかと思われること。
…名前の一部を持って来るやり方が、二人の弟、特に三男のそれと同じであること。

もっとも、「違う」と考えられる点もないことはなくて、
…若くして不慮の事故で亡くなってしまった人の名前を、自分の最初の子供に付けたりすることがあるだろうか?
「縁起でもない」と思う方が普通なのではないか?

「ただ…」
ひと通り自分の考える根拠を説明した後に、私は言いました。
「もし秋山さんが本当に誰からも一目置かれるだけの人物で、親父が一種の『敬意』を払い、『自分も彼のようにありたい』と思うような存在だったのだとすれば、その可能性もないことはない、と私には思えるんです。母からは、私の名前は『祖父が付けたものだ』って話を聞いていますけれど、実際は親父がまず『アキヒコ』って音を決めてから、『これにいい字を当ててくれないか?』って祖父に頼んだ、ってことなのかも知れませんしね。親父も祖父ももうあの世の人ですから、真相は分からないのですけれど。」
そう説明してAさんに向き直り、
「ですのでね、私、秋山さんって一体どんな方で、親父とどんな関わりを持った方だったのか、凄く興味があるんですよ。」
そしてヘヘッ、と笑い、
「…私の名前って、私にとっては親父が残して行ったコード(暗号)なんです。」

私の説明を、SAの喫煙所で聞いていたAさん、うーん、と暫く腕組みをして考えていましたが、やがて、

「うん…、そうだねえ。そういうこともあったかもしれないねえ。」
そう返して来られました。
私の言う「一種の『敬意』を払い、『自分も彼のようにありたい』と思うような存在だったのだとすれば…」という話に、何か思い当たるところがあったのかも知れませんね。

(2011/1/23 加筆修正)