「私、多分これが親父じゃないかと思うんです。」
そう言って私は写真を指さしました。

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親父は身長163cmと比較的小柄で、頭も小さい方でした。
アルバムに残っている写真と比較してみても、ゴグルからのぞく顎のラインが、私の記憶にある親父のそれとよく似ているような気がするのですね。

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1959年浅間耐久に向け、RC142で練習中の親父

Aさん、「へえ、そうかねえ」と私の意見に相槌を打ちます。

「で、これとこれは谷口尚己さんと島崎貞夫さんなんじゃないかと思うんですよ。」

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島崎さんと谷口さんも、その体型、顔の輪郭などからして、恐らくそれに間違いないだろう、と私は思っていました。
ご両人とも親父より年齢は下でしたので、2列目に陣取る親父の後、という位置にも違和感を感じません。
特に、谷口さんについては割と自信がありましたね。
浅間の時代の谷口さんは肘を突っ張らせたライディングフォームに特徴があり、「肘を張りすぎだ」と監督の河島さんからもよく注意されていた、というお話を聞いたことがあったからです。
その旨をAさんにお話しすると、

「あはは、そうだねえ。よくそう言われてたっけねえ。」

そういってAさんは笑いました。

結局のところ、私の推理が正しかったかどうかをAさんから伺うことはできませんでした。
やはり、当日誰がいたのか、はっきりとは覚えていらっしゃらないということで、50年という歳月はいかんともし難く重いものです。(^_^;)

ただ、こうしてパズルのピースを埋めて行くと、その面子はこの年1959年から翌1960年頃のスピードクラブの主力メンバーと概ね符合させられるのではないかと私には思えるのです。
この写真には、顔の写っている方6名の他に、

1.ゼッケン15の影に完全に隠れてしまっている方1人
2.ゼッケン12の後にマシンだけ見えている方1人

の、計8名の方がカメラのフレームの中にいらっしゃったようです。

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推理をもう少し膨らませ、この顔や姿の見えていない方についても考えてみましょう。

まず、義一さんのすぐ後ろ、マスクで顔を隠しているゼッケン15のマシンに乗っている方。
これ、恐らく鈴木淳三さんなのではないかと思います。

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当時淳三さんは義一さんに次ぐクラブ内No.2で、TTレース初参戦時は「主将:鈴木義一」に次いで「副将:鈴木淳三」を会社から拝命していました。
その背景からして、まあ、義一さんのすぐ後ろであるここが順当な位置なんではないでしょうか。
淳三さんではなく別の方、例えば田中健二郎さんの様な方である可能性もあるかな、という気もちょっとしないではありませんが、だとすると淳三さんはゼッケン13の親父のうしろか、ゼッケン12の谷口さんのうしろのいずれかだった、と考えざるを得なくなります。
なにか訳があって、そもそも淳三さんはこの場にいなかった、となれば話は別ですが、そうでなければこの撮影が行われた際、TT初参戦の副将として選抜された方が、「選抜から漏れた親父の後ろ」もしくは「年下である谷口さんの後ろ」というのは、なんとなく不自然であるような気がします。

その淳三さんの影に完全に隠れてしまっている、ゼッケン12の谷口さんの隣は、恐らく田中楨助さんでしょう。
そして、谷口さんの後、マシンの前輪だけ見えているのは、多分佐藤幸男さん。
と、こんな具合に考えるのが、恐らく順当なのではないかと思います。
そうすると、この時のグリッド順はこうだったことになります。

一列目
進行方向右→鈴木義一
進行方向左→秋山邦彦

二列目
進行方向右→鈴木淳三
進行方向左→福田貞夫

三列目
進行方向右→谷口尚己
進行方向左→田中楨助

四列目
進行方向右→佐藤幸男
進行方向左→島崎貞夫


つまり、ほぼ当時のクラブ内の序列はこうだっただろう、と思われる順番に並んでいることになるのですね。

…そうすると、田中健二郎さんと藤井璋美さんは、この時ここにはいなかった、ってことになるんでしょうか?

多分そうなんだろうと思います。
このお二人は「嘱託社員」でしたから、こういった社命を拝することはなかった、ということだったのかもしれませんよね。
「嘱託だった」という共通点を持つお二人がどちらもいない、となれば、その可能性が高かろう、と考えられるものと思います。

例によって、真相は藪の中、ではあるのですが。