検討の当初、「旧道の七曲が事故現場だったのでは?」と考えていた折にも、やはり事故現場と目された左コーナーのアウト側が崖になっていることに気づき、「写真を撮影したはずのカメラマンの立つ場所がないが?」と疑問を抱いたことがありました。


ただ、この時はAさんの「てっぺんにお茶屋さん」という証言があったために、「現場は七曲だったのに相違ない」と確信することになり、その結果、「カメラマンの立つ場所がない」という疑問点は、「どうとでも説明の付く瑣末なこと」として私の頭の中では整理がついてしまっていました。

書こう、書こうと思いながら結局これまで記事にできないままになってしまっていましたが、「てっぺんにお茶屋さん」というAさんの証言を受けて「やはり七曲が現場だったのだ」と確信した私は、それまで感じていた疑問点である「写真を撮影したカメラマンの立っていた場所は?」に答えるため、こんな理屈を組み立てていました。

「当時、七曲の道幅は現在の半分程度しかなく、写真に写っているコーナー外側には、トラック一台程度を停車しておけるくらいの未舗装の路肩部分があったのだろう。あの写真は、『最終コーナーで前を行く車をインから抜き去る』というシナリオに従い、その追い抜きシーンを撮影するために、その道路外側の路肩部分に作られていた撮影用の櫓か、あるいは路肩に停車したトラックの荷台の上から撮影されたものだったんじゃないだろうか。」

…今回明らかになった「写真の道路対面に立つ方の立つ場所がない」という事実も、事象としては同じといえば同じです。
ですが、今回ばかりは「いや、まだあの七曲の時と同じ理屈で説明は付けられるはずだ」とは…考えることができませんでした。

「てっぺんにお茶屋さん」という証言を伺った時には「そうか、やはり現場は七曲だ、間違いない」と確信にも似た確固とした自信がありましたから、それに反する状況証拠などその時の私にとっては「あって無きがごとし」です。
これを覆すための理屈など、いくらでもひねり出すことができました。
でも、今回は事情が違います。
そもそも「もしかすると、『私の推理の方が正しい』と証明してくれる事実がみつかってくれたりしないだろうか?」と、そんな消極的な気持ちで現場に望んでいるのですから、多少でも疑念を抱かせるような事実が見つかれば「もうダメ」です。

不思議なもので「やはりここではないのだ」と思って周囲を見回すと、「ここが現場ではなかった」ことにダメを押すような事実が次々と目に入ってきます。

撮影隊が待機していたゴール地点は、現在のターンパイク箱根伊豆連絡線と椿ラインの分岐点付近だった、というのがここが事故現場だったとした推理の前提でしたが、では、そのターンパイク箱根伊豆連絡線の分岐からここは目視できるのでしょうか?
と思って分岐点のある方角へ目を向けると…。

イメージ 2

…見えない…。

この右コーナーと分岐点との間にはもう一つ山があって、私がゴール地点と推理した地点からこの右コーナーは直接目視することができないのです。

念のため、と思って、そのゴール地点と推理した椿ラインとターンパイク箱根伊豆連絡線の分岐まで足を運んでみましたが…。

イメージ 3

…ごらんのとおり。

この写真を撮影した地点からすると、事故が起こったのは白く削られた山肌も露わな小高い山の向う側です。
どう考えても、ここで待機していた撮影隊が、あの右コーナーで起こった事故を目視できていたとは思われません。

(…ダメか…)

こうして私が無理繰り捻り出した「苦し紛れの説」は私自らの手で引導が渡されることになり、弟の言う「大観山レストハウス手前の右コーナー」という推理に屈するハラが決まったのでありました。