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「あの写真は、事故が起こった当日じゃなくて、その後改めて事故の現場検証をした時に撮影されたものだったんじゃないのかな?」

「・・・。」

なるほど…。
そうだとすれば確かに「大観山レストハウス手前の最後の右コーナーが事故現場だった」と考えることができ、「現在の大観山レストハウスの目の前」というAさんの証言にぴったりと符合させることができるようになります。

考えてみれば、私が事故が起こったと思われる場所を「ない、ない」と捜しまわることになってしまった理由は、この「東から西に登る坂道の、北から南にレンズを向けて撮影した写真」という解釈があったからに他なりません。

もし、この解釈の前提が間違っていたとしたら?

「科学的」という観点にこだわってそれに縛られてしまうより、むしろ弟の言う通り「あの事故現場の写真は事故直後に撮影されたものではない」と解釈する方が自然なことなのかもしれません。
事故現場を探す過程で、
「『事故は椿ラインで起こったものではなかった』という結論に張った方が正解である可能性が高いことになってしまう」
と、こんな矛盾を含んだ結論が導き出されてしまった理由は、実は「現場の状況の解釈が誤っていたからだった」とも考えられるのではないでしょうか?

(そうなのかもしれない…)
私の自信は大きく揺らぎ始めました。

「そうかなあ…?」

気持ちは揺らぎつつも、私は抵抗を試みます。

「交通事故の現場検証なんて、後日改めて行われる、なんてことがあるかねえ?」

これに対する弟の答えは明快でした。

「あるよ。絶対あるって。」

自信たっぷりに弟は続けます。

「交通事故といって、なにせ死亡事故なんだから、後日に改めて事故現場に事故が起こった時の車とオートバイを持ってきて詳細な現場検証を行う、なんてことは当り前にあることだと思うよ。」

…言われるまでもなくその通りだ、と私にも思えました。
こりゃあ、弟の解釈が正しくて、私の解釈の方が間違っているのかもしれない…。

弟の言う通り、ごく素直にAさんの証言通り「現在の大観山レストハウス手前の最後の右コーナー」が事故現場だった、と考えて、あの事故現場写真は「事故ののち、改めて行われた現場検証の様子を撮影したものだった」と、そう解釈する方が正しいのかもしれません。
その方が、「椿ラインが事故現場だった」という前提を考えた場合、ずっとすんなりと状況に結論が治まるのです。
素直にそう解釈すれば良いものを、なまじっか余計な解釈を加えようとするが故に見えるはずの真実が見えなくなってしまっているような、そんな気が私はしてきました。
これまで私が行ってきた作業は、論理的であるように見えながら、実は「真実を覆い隠す雲」の作用しかもたらさないものになってしまっているのではなかろうか、と…。

うーん…、と唸ったきり喋れなくなってしまった私に、弟は言いました。

「Aさんに会って、直接話を聞いてみたら?」

なんでも、以前弟がAさんとお会いした際に、Aさんから「何だったら、一緒に現場へ赴いて場所を案内してもいいよ」と言われたのだというのですね。

「兄貴もAさんの連絡先は知ってるんだろう?直接電話して、話をしてみたら?」

確かに、以前Aさんとお会いさせて頂いた際に、連絡先の電話番号を教えて頂いています。

「直接連絡なんかして、失礼に当たらないかね?」

そんな私の問いに、

「大丈夫だよ、きっと。連絡してみなよ。本当に案内してもらえるかもしれないよ。」

うーむ…。

そりゃあ社交辞令ってもので、だからってズケズケと「案内してもらえますか?」なんて厚かましいお願いをしてしまって良いものなんだろうか…?

弟との電話を終えた私は、腕組みをしながら考えてしまいました。