レースシーンに使われたのが椿ラインだった、と聞いた時に、私はどうにも釈然としないものを感じていました。

(なぜわざわざここだったのだろう?)

以前の記事でも書いた通り「椿ラインがレースシーンの撮影現場だったのではないか」という推理を検討の俎上に乗せてみたことがありました。
が、その際の前提が「箱根新道の芦ノ湖大観ICのアクセス路だったから」というものだったため、「コースの長さが短すぎやしないか」と思い、検討の俎上から外すことになっています。

もちろん、その際に「現在の芦ノ湖大観ICより先にもコースがあったのでは?」とも考えてはみましたよ。
でも、やはり「違うんじゃないかな」という結論は、変わることがありませんでした。

地図(でも衛星写真でも良いですが)でみると、もし仮に椿ラインを芦ノ湖側から登って箱根新道の芦ノ湖大観ICを過ぎた先まで撮影に使われたレースコースが続いていたとしても、やはりほぼコーナーらしいコーナーはなく、非常にのっぺりとしたコースレイアウトになっているのですね。

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特に私が気になったのは、芦ノ湖大観ICを過ぎて少しすると、ほぼ南北に「直線路」が走るコースレイアウトになっている点でした。
それまで比較対象にしていたのが非常に厳しい左右の切り返しが連続する旧道の七曲だったからなのかもしれませんが、レースコースとしてはえらい単調なレイアウトなのではあるまいか、と私には思えました。
だからこそ、「ここじゃないだろう」という結論に至った訳だったのですね。

「事故現場が椿ラインだった」と弟から聞き、ではどこだったのか、を考えてみると、影の向きから考えて「事故現場は、東から西へ登る坂道だった」と考えられることになる、と以前の記事で述べました。
そうすると、西から東へ登る坂道になっているここの区間だったとはちょっと考えにくい事になってしまいます。

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とするならば、事故の現場だったのは私が「ここは違うだろう」と思っていた、ここの区間であったことになってしまうのですね。

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(そうかなあ…?)

消去法で導き出されるこの結果に、どうにも私は納得が行きませんでした。
そこで、何かヒントになるものがないか、と、手元にある資料をひとつづつ開いて見て行ったのです。
すると。

「…あ…!」

あったのですよ、ヒントになりそうなものが。
「妻の勲章」の撮影が行われた昭和34年から3年後、昭和37年に箱根新道が開通した年の航空写真です。

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この写真、多分この付近を正確に真上から撮影したのではなく、やや北から南に向けて傾いて撮影されたのでしょうね。
山と谷の凸凹が逆になって見えています。
見やすくするために、南北を180度ひっくり返してみますと…

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どうでしょう?
上の写真とは逆の方向に山と谷が浮かび上がって見えませんか?
目の錯覚って、不思議なものですね。(笑)

そう、撮影が行われた当時、椿ラインの芦ノ湖大観ICから大観山へ向かう坂道は、現在のような直線路ではなく、尾根の形に沿ってもっと複雑に曲がりくねった道だったのです。
これなら、映画のクライマックスシーンを飾るレースコースとして相応しいものになったのではないでしょうか?

(なるほど、これなら…)

考えてみれば、事故は今から半世紀も昔に起こったものなのですから、その事故現場も「その当時の道路がどうなっていたのか」から推理しなければいけなかった筈でした。
なるほど、この当時の椿ラインがこうなっていたのであれば、芦ノ湖大観ICからさらに大観山方面へ向かう道路が「妻の勲章」のレースシーンの撮影に使われていた可能性もあるように思えます。

(では、ここからどう考えると②が事故現場だった、と結論づけることができるだろうか?)
今度はこれを考えてみることにしました。

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