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60年の遠征に参加したライダー9名を見ると、その選考基準は、前年59年の浅間火山レースの結果によるものだと推測することができます。

1959年 第3回全日本オートバイ耐久ロードレース結果
125cc
優勝 北野元 ※   ベンリイCB92
2位 鈴木淳三    ベンリイRC142
3位 藤井璋美    ベンリイRC142
4位 福田貞夫 ※  ベンリイRC142
5位 市野三千雄   コレダRB
6位 有川英司    トーハツHD
R  谷口尚己 ※  ベンリイRC142
R  小美戸猛夫   ベンリイRC142

250cc
優勝 島崎貞夫 ※  ドリームRC160
2位 田中健二郎 ※ ドリームRC160
3位 鈴木義一 ※  ドリームRC160
4位 増田悦男    ドリームCR71
5位 佐藤幸男 ※  ドリームRC160
6位 田中楨助 ※  ドリームRC160

※が60年の遠征メンバー

9人のうち、すでにマン島を走ったことのある鈴木義一さん、鈴木淳三さん、田中楨助さん、谷口尚己さんは、よほどの事がなければ当確だったのでしょう。
マン島のコースを攻略するには、なによりも「経験」がものを言ったからです。
谷口さんは、59年の浅間では125ccクラスに出走し、途中までトップを快走していながら転倒リタイヤとなってしまいましたが、それでも、翌年の遠征メンバーに選ばれています。
やはりマン島を実際に走り、入賞した、という経験が重んじられたからだと推測できます。

同じくマン島を走った経験があり、59年の浅間125ccクラスでワークス最上位の2位を獲得したにも関わらず、鈴木淳三さんがメンバーから外れたのは、この59年の浅間を最後に、ご本人の意思で現役を退いたからでした。

また、125cc3位だった藤井璋美さんは、スピードクラブに所属はしていたものの、ホンダの正社員ではなく嘱託社員で、本業はオートレースを走る現役の職業レーサーでした。
このため、恐らくアマチュアイズムを標榜するFIMの出場資格に抵触したか、あるいは本業とのスケジュール調整が付かなかったのでしょう。やはり遠征メンバーには入っていません。

写真:
上:1960年欧州遠征のメンバー
前列左より 福田貞夫、島崎貞夫、北野元、田中楨助の各氏
後列左より 佐藤幸男、高橋国光、田中健二郎、鈴木義一、谷口尚己の各氏

下:1959年浅間火山レース終了後の、ホンダワークスの記念写真
前列左より 河島喜好、島崎貞夫、秋山時芳(秋山邦彦さんの父君)、関口久一、奥津靱彦の各氏
後列左より 鈴木淳三、田中健二郎、福田貞夫、藤井璋美、佐藤幸男、増田悦男、小美野隆昌、鈴木義一、田中楨助の各氏