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さらと申します。
旦那の家族と同居をはじめて
39年。
子供達も巣立ち、夫、義両親、
のモーちゃん〈20才)と4人と1匹暮らし
シンママになった娘家族のサポート
認知になった義母
ドタバタ日常を綴ります
生まれながらに孤児
だなんて、この見出しもだけど、切なすぎる💦
戦争の酷さを思う
https://www.bbc.com/japanese/articles/c4n183xxqd1o#sa-ns_mchannel=rss&ns_source=PublicRSS20-sa
「みんなが 爆弾なんかつくらないで きれいな花火ばかり つくっていたら きっと戦争なんて 起きなかったんだな」
(山下清 画伯)
裸の大将と呼ばれた山下清さんの言葉です。
日経新聞にあったというコラム
とても感慨深い。
〈暗い夜空に次々に花火が打ち上げられる。光の輪が輝きながら大きく広がり、辺りをびっしり埋めつくした人々からいっせいに歓声が上がる。
その壮大なパノラマを、色紙を細かく切って表現した。空気の震えまで伝わってきそうな、山下清の貼り絵「長岡の花火」だ。
佐賀県立美術館で開かれている回顧展を訪ねると、たくさんの人が作品の前で足を止めていた。数々の傑作の背景に、画家の放浪癖があったことは広く知られている。
旅から戻ると驚くべき記憶力を発揮して、目に焼きつけてきた風景を作品にした。画家を放浪へと駆り立てたきっかけの一つには、徴兵への恐怖があった。
いま私たちが目にしているのは、人をうっとりと楽しませる花火とは逆の光景。
うなりをあげて空を切り裂き、人々から平和な暮らしを奪うミサイルの姿だ。
つい先日も遠い海のかなたの夜空を、オレンジの光が飛び交う映像が飛び込んできた。
次はどこが標的になるのか。報復が報復を呼ぶ連鎖への懸念が高まっている。
「戦地へ行ってこわい思いをしたり 敵のたまにあたって死ぬのが一番おっかない」(「裸の大将放浪記」)。
かつてそう記した画家が、亡くなる前に残した言葉は「ことしの花火見物はどこへ行こうかな」だった。
終戦から二十数年。穏やかな日常の尊さを示す。人の脳裏に焼きつくものが、破壊の炎でいいはずがない。〉
(日経新聞 “春秋” 4月18日)
その壮大なパノラマを、色紙を細かく切って表現した。空気の震えまで伝わってきそうな、山下清の貼り絵「長岡の花火」だ。
佐賀県立美術館で開かれている回顧展を訪ねると、たくさんの人が作品の前で足を止めていた。数々の傑作の背景に、画家の放浪癖があったことは広く知られている。
旅から戻ると驚くべき記憶力を発揮して、目に焼きつけてきた風景を作品にした。画家を放浪へと駆り立てたきっかけの一つには、徴兵への恐怖があった。
いま私たちが目にしているのは、人をうっとりと楽しませる花火とは逆の光景。
うなりをあげて空を切り裂き、人々から平和な暮らしを奪うミサイルの姿だ。
つい先日も遠い海のかなたの夜空を、オレンジの光が飛び交う映像が飛び込んできた。
次はどこが標的になるのか。報復が報復を呼ぶ連鎖への懸念が高まっている。
「戦地へ行ってこわい思いをしたり 敵のたまにあたって死ぬのが一番おっかない」(「裸の大将放浪記」)。
かつてそう記した画家が、亡くなる前に残した言葉は「ことしの花火見物はどこへ行こうかな」だった。
終戦から二十数年。穏やかな日常の尊さを示す。人の脳裏に焼きつくものが、破壊の炎でいいはずがない。〉
(日経新聞 “春秋” 4月18日)
子供の頃、テレビでよく見ていた、放浪記
おにぎりを頬張る姿と、どもりながらの話し方が独特で、平和の中のお話かと思っていたら
徴兵から逃れるために放浪していたとは知らなかったな
そんな背景があったなんて、そう思いながらみてみると、また違う角度で見れそうな気がする。