母の誕生日 | 同居39年、認知症の義母つーちゃんとシンママになった娘、孫ちゃんとの楽しいサポート奮闘記

同居39年、認知症の義母つーちゃんとシンママになった娘、孫ちゃんとの楽しいサポート奮闘記

結婚39年、同居歴39年
少し認知症が始まった義母と
夫、子供達、孫達の日常を綴ります。

 

    

​ご訪問ありがとうございます。
さらと申します。


夫わんちゃんの家族と同居をはじめて
38年。
子供達も巣立ち、夫、義両親、
犬のモーちゃんと4人と1匹暮らし


シンママになった娘家族のサポート
認知になった義母



ドタバタ日常を綴りますピンク薔薇

 

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母を亡くして6年、後20日で81歳という時に心不全で亡くなりました。

 

認知の父の介護のストレスなんだろうな〜と思います。

 

 

 

 

 

 

 

母は9人兄弟の末っ子で生まれました。昔あるある😆

同居の長男の子供と3歳しか変わらないこともあって、長男の子供4人と兄弟のように育ったようで、私も、いとこなんだけど、叔父、叔母のように付き合い、長男夫婦のおじちゃんおばちゃんのことを、じいちゃんばあちゃん❗️と呼んで育ちました。

 

母親を6歳で亡くしたので、長男のお嫁さんが母代わりで育ててくれたようで、当時は13人家族だったみたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

母を思う時に、本当に優しい人だったな、あったかいお茶目な人だったなーといろんな場面を思い出します。

子供、特に赤ちゃん好きで、近所に赤ちゃんが産まれると、見に行ったり、日曜日の朝、赤ちゃんの声がすると思ったら、家で面倒を見ていたり

私が、子供を連れて泊まると、朝早くに子供だけ居間に抱いて行って遊んでいたりと。よく可愛がってもらいました。ひ孫も可愛がってくれたので、小学生になった孫たちは、〇〇のおばあちゃん❗️と覚えてくれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

よく、知り合いの子供が道を通ると、ちょっと待って!とポテトチップスやチョコレートをあげたりしてました。お菓子をあげるのが趣味?と思うほどに 笑😆

 

 

 

 

 

 

 

 

特に印象に残っているのが

何軒か隣の貸し屋に弟の子供と同じ歳の男の子がいて、内孫と同じ歳よ!とその子が通るたびに、声をかけたり、お菓子をあげたり、ジュースをあげたりと、とても可愛がっていました。

あまりに可愛がりすぎたせいか、小学校高学年になって、その子が、お金を貸して欲しいと(100円、200円だけど)立ち寄ってきたり、すると、それは困っていて、お母さんに言うべきか、悩んでいたりもしました。(すぐに返しに来てくれていたようです)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

母が突然亡くなって、葬儀の後、高校生になっていたその子が、お母さんと共に弔問に来てくれて、母の遺影の前で大泣きしてくれた時は、私も一緒に泣いてしまいました。

一緒に来たお母さんも、びっくりされて

「この子にこんな部分があるなんて、びっくりしました。可愛がっていただいたんですね」悲しい

と涙してくださいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は87回目のお誕生日。

おめでとうお母さん。誕生日ケーキまじかるクラウン

もっと長生きして欲しかったけど、7回忌を終えて、人としては理想的な生き方、旅立ちの仕方だったねニヤリと弟と話しました。

「誰にも迷惑をかけずに、もう少し居てほしかった。と言われるときに死にたいわ~」とよく言っていた母。心残りは父を置いて行ったことかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

空いた実家に住んでいる次女ちゃんが、仏さんを見てくれているのですが、昨日は、明日がおばあちゃんの誕生日だからと、みたらし団子を買って仏壇にあげてくれていました。

今日はケーキを🍰お供えしました。ケーキを見た孫ちゃんが、食べたい食べたいと付きまとってアセアセ

 

「おばあちゃんのお誕生日だから、おばあちゃんにあげて、にょにょさんしてからね」

 

というと、一緒に手を合わせてくれました。素直で可愛いラブラブケーキを食べるのも少し我慢してくれました。照れ

 

 

 

 

 

 

 

母は、みんなの誕生日を覚えていて、誕生日が来るとひ孫まで、

「おめでとう🎊」ラブ

と必ず電話をくれていました。

私も、見習って、電話、もしくはLINE、ビデオ電話をしています。

唯一無二のお誕生日

生まれてきてくれてありがとうを込めて😊