※これは、私と一緒に暮らし始めたミーコとその子供たちとの2000年から2003年当時について綴ったエッセイです。過去記事は『猫家族(エッセイ)』のテーマで絞っていただけますと、簡単に検索できます。お時間がありましたら、読んでいただけますと嬉しいですニコニコ

 

  乳飲み子の頃はそっくりだった子猫達が、二ヶ月も経つ頃にはそれぞれの特徴がはっきりしてきて、毛色や手袋に頼らないで、顔だけでも見分けられるようになった。サクラは心なしか寂しげな目で、行く末が現れているのだろうか、と気になった。モモとキキが遊んでいるのに、サクラの姿が見当たらず、探すと一人カーテンの向こうで外を眺めている。そういうことも度重なり、よけいに心配になった。こんな寂しい目の子は、絶対他所にはやらないで手元で存分に可愛がってやらなければならない、真面目にそう思った。

 

  キキのように興味のあることに突進していくタイプではないし、モモのように何でも把握した上で見ている、という感じもない。見ているようで見えてない。自分の世界に入っているのかな、という感じ。外を一人で見ているのが多いのもそういうことなのかも知れない。夢見る少女が窓辺が好きなのと同じである。

 

  そう思って見ると、サクラは動的ではなく静的である。高い所にも機敏にドンドン登れるくらい運動神経だって良いくせに、鈍で無鉄砲なキキにいつも出し抜かれている。動いているものがあるとキキはすぐに飛びつくのだ。キキが愛敬者でモモがスマートさんだとすると、サクラは引っ込みじあんのおっとり屋さんである。実にのんびりと自分のペースを守っている。これが人間だと他人と比較され比較することに慣れてしまっているため、本来の自分でなかなかいられないのだが、さすがに猫は良い。のんびりしている為に損をするなんて微塵も思わないし、キキとモモに遅れまいとしてきゅうきゅうとすることもない。

 

手前で寝転んでいるモモに向かっているサクラ。頭が見えているのはキキ。

こたつの中でプロレスごっこ中。ミーコがじっと見守っている。