昔、谷村新司さんのラジオ番組で「青春キャンパス」というものがありました。おそらくセイヤングの流れをくむ番組だったのでしょうが、いわゆる夜の帯番組で月曜から金曜までの毎日あったと記憶しています。で、確か週末金曜日だったと思いますがばんばひろふみさんと一緒にやっていたコーナーがありました。

「天才・秀才・馬鹿」

まあ今となってみれば何という事もないはがきのコーナーですが、ネタが異常に面白かったのと、いわゆる下ネタ系の話を公然とする二人が面白くて大好きな番組でした。事ほど左様に谷村さんとばんばさんの付き合いは深かったようなのですが、当然ながら、そのコーナーの中でばんばさんの新曲紹介はかなりされていました。


ばんばひろふみさんといえばやはり前身のグループ「バンバン」時代の「いちご白書をもう一度」のヒットが有名で(1975)今でも歌番組によく出てきます。

安保時代の若者の姿を描いたユーミンの曲は男性の歌声によりより現実感を増し、オリコン1位にもなりました。

これも充分100曲に入れたい曲ですが、今日ご紹介するのは、それから4年後の1979年、つまり前述の青春キャンパスに出ていた時代のものです。


SACHIKO  (1979年)



50年後に残したい音楽たち-サチコ


小泉長一郎 作詞
馬場章幸 作曲


当時はTBSのザ・ベストテンなどで紹介するようにJPOP、ニューミュージック、演歌など相対的に人気があり、また薄幸の女性とそれを励ます男性の姿、そしてきれいな曲が大きな支持を受けたのか大ヒットしました。


「SACHIKO 思い通りに
SACHIKO 生きてごらん
そして心が傷ついたなら
泣きながら帰っておいで
僕はお前のそばにいるよ」


この主役の男性が「友人」なのか「兄」なのかは諸説あるようですが、当時の「やさしさ」重視の世の中にマッチしたことは間違いありません。また今と違い生活レベルも50~60年代に比べれば上昇したもののそれでもかなりの開きがあり、何をやっても上手く行かない男女は多かったのでしょう。しかし現在のそれと違うのは、何度転んでもチャレンジしようとする強い心ではないかと思います。


実際この後やってくるバブル景気によりそれなりの人数がそれなりの「経済的な」幸せは手に入れたはずですから。尤もそれが良かったかどうかは別問題ですが(苦笑)。


芥川龍之介の「鼻」を持ち出す必要もなく、夢は叶ったあとよりも、叶う前、あるいは努力している最中が尤も「幸せ」や「充実感」を得られるものなのでしょうから。


そういった意味では、こうした希望を感じさせる曲がヒットしやすい年代だったことだけは間違いありません。



さて、前述の青春キャンパスやそれ以外の関西のラジオ番組(ヤングタウン:通称ヤンタン)で、ばんばさんは活動を続け、今でもご活躍なのですが、その後1982年にもう一度ヒットの機運が高まります。

それが「速達」という曲です。


正直良い曲だとは思うんですが、大ヒットとは行きませんでした。

ラジオで運動を起こしたりもしたらしいのですがそこそこで終わってしまったのは、まあ若干のあざとさが透けて見えたのかもしれません。

本人もラジオ番組の中で「オリンピック歌手」(4年に一回ヒットをする)ということを売り出したいようでしたから(笑)。


ともあれ、それによって曲の、特に過去の曲のランクが落ちるわけでもありません。


SACHIKOは今でも「何をやっても上手くいかない(特に)女性」にはいやされる曲ではあるのでしょうが、そういった方々の身の回りにこうした良くできた兄や男性がいるかどうか、またそれが本心かについては私が知る術がありません(笑)。