最近はSNSの発達やオーバーシュートな少数への配慮等で
言いたい放題のクレーマー天国になりつつあるというのはある
(とにかく延々声を張り上げて、他人や社会を翻弄することに快楽を覚えている人達というのは一定数いると思う)

ただ、そういうのとは別に、個人の土地所有というのは、もうやめるべきではないかと思ったりする

歴史とか全然詳しくないので、あくまで推測で語ります
江戸時代が数百年続いた、この時期において
田舎の百姓とかは固定された土地で、大家族なり分家分けなり、
一定の土地で人口の再生産と産業の維持を同時に行ってきたわけで、
そこでは家が固定される意味があったと思うのです

それに対して、都会では長屋とか賃貸でフレキシビリティを持たせることと、

社会システムが大きく揺らがない事により数百年維持できたわけです
(世界に類を見ない、真に持続可能な大都市というのが存在していた)


今は都会でも多くの人達が「家を購入」する
不動産はなかなか動かないから不動産なわけでですが
至近は「少子化」絡みても書いたように社会システムが急速に変化している
都会における不動産の個人所有は、明らかにこの社会の変化に追従できていないと思われる

今の都会で核家族が家を「所有する」ことのデメリットは
ミクロな視点では、夫婦(2人)→子供ができる(仮想として4人)→子供が出て行って又夫婦(2人)
というのに固定の間取りで対応しないといけない
2人では広すぎるが4人では狭いって間取りで常に妥協しながら生活しないといけない

マクロな意味では
夫婦(2人)のときには仕事(通勤)に便利な場所が良い
子供ができる(4人)の時は子育てがしやすい教育機関や公園が多い場所が良い
又夫婦(2人)になったら郊外の静かな所が良い

このようにライフスタイルに応じて生活しやすい場所が変化するのに
子育てが終わったぢぢい達が、子育てがしやすい教育機関や公園が多い場所を占拠したまま
新たに子育てしたい人達は、やむなく遠くから送り迎え
教育しやすい場所に残ったぢぢい共は、自分の若い頃とか棚上げで子供が煩いと文句を言う
不動産を個人所有していると、ライフスタイルに応じた移転という考えそもののが消失する

又、都市の再開発の意味でも誰が持ってるのか分からない土地のために困難な状況になる等良いこと無し

これから地方都市は確実にシュリンクしていきますが、賃貸でエリアの集中整備で移住してもらえば
インフラ整備もコストを抑えられると思うのですが、

某北のメロン産地とか、1人しか住まない集合住宅なんかに電気、ガス、上下水道の整備とか

もう頭がおかしいとしか言いようがない

不動産を所持せず、住居をライフスタイルや社会に応じてよりフレキシブルにする
都市計画は50年くらい先まで見越して効率的に行う

日本ももう縮小期に入っているのだから、将来を見越して効率的にインフラ整備をしていく時期に来ていると思います
(3.11で大金かけて整備した東北の地方とか、半世紀後には限界集落になっていないか疑問)

 

P.S. 日に1人とかしか閲覧しないようなブログ(まぁ、投稿頻度が低いしな)にリンクしてくださる方がおられるようで、ありがたい事です