いつからかよくわかりませんが、私は人の目があまり気になりません。

 

 

引き寄せって何ろうって考えたカメロンの自分史

 

ここで書いたんですけど(まだ入り口の入り口ですが)

 

30年近く前にパニック障害になり、それで7年ほど

 

重度の不安神経症(今では不安障害という名称だそうです)

 

で苦しみました。

 

わけのわからない不安の中でそこから抜け出したくもがいている時に

 

気付いたんだと思います。

 

人間って他人のことそれほど気にしていないなって。

 

それまでが自意識過剰だったんでしょうね。

 

自分はこうであるべきというのが強かったと思います。

 

“他人から見て”こうであるべきが強すぎて

 

恥ずかしいことはいやだったんです。

 

たとえばですけど、授業中に「先生、トイレ」とか言えないし、

 

朝礼中に倒れるとか目立って恥ずかしいと思っていました。

 

でもよくよく考えたら誰かがトイレに行ったとしても

 

朝礼で倒れたとしてもフーーンで終わりだと思います。

 

(朝礼で倒れたら大丈夫?!とは思いますが)

 

もし、その時あの人は授業中に堂々とトイレに行くんだぁと

 

その時思うかもしれませんが、数秒後に忘れます。

 

 

私は自分が何か恥ずかしいことをしでかしたら

 

それがまるで他の人の記憶に永遠に残り

 

嘲笑われるような気がしていたのでしょう。

 

もしかしたら自分はそうやって嘲笑っている気性があったのかもしれません。

 

 

 

とりあえずジタバタともがくなかでふと気づいたのです。

 

誰も私のことなんてそれほど記憶に留めていない。

 

みんな自分のことが気になっているだけだ。

 

人のことはそれほどでもない。

 

 

そのことがわかってから不思議とまったく人の目が気にならなくなりました。

 

少しくらい気にした方がいいよと言われるかもしれないくらいです。

 

 

ただ、身近には人の目が気になって気になって仕方のない人がいます。

 

そのわりに実際の行動は人から見てどうよってことが

 

多かったりするので、これは

 

人の目を気にすれば気にするほど

 

人の目に映っている自分を気にしているということで

 

ベクトルは自分を向くので

 

周囲の人の気持ちがわからなくなり、

 

実は周囲の人からあきれられる行動をしてしまいがち

 

になるのでしょう。

 

周囲にやさしい人ばかりだと笑って許してくれますが、

 

そうでないと非難をあびることも出てきます。

 

それがまた人の目を気にする度合いが大きくなりベクトルはより自分向きになる。

 

悪循環ですね。

 

自分の評価ばかりでなく目の前の人のことをきちんと見ないと

 

ずっとこんなこと繰り返すのになって思います。

 

目の前の人をきちんと見てお互い居心地よい空間を作ることが

 

上手なコミュニケーションだと思うし、何かを引き寄せたいならば

 

お互いが心地よい人間関係構築は不可欠だと思うのです。

 

すべては人の縁からやってくるのですから。