道ばたのおばあちゃん
道ばたを歩くとき
足元に咲いた小さな花たちに歓喜の声をあげるのは
幼い子供たちや、若い大人じゃなくて
しわしわのほっぺをした、おばあちゃんたちのほうだ。
その花を見た回数なら
圧倒的におばあちゃんのほうが多いはずなのに
彼女たちはまるでそれらを初めて目にしたかのような
新鮮な、明るい歌のような声を出す。
子供たちは、花なんかには目もくれず
あそびながら駆けていったり
若者たちも、携帯やカップルとのおしゃべりに
夢中になって歩いているから
花たちはおばあちゃんに見つけられ
たまにしゃがんで話しかけられたりすると
本当に嬉しそうにそよそよする。
その光景は、美しい「再会」そのものだった。
「また会えた喜び」
それが奇跡だということへの理解が
年を重ねるごとに、深まるからかもしれない。
こころの奥にある静かな草原で
長い人生に培われた温かな土と、光と水が
季節ごとの小さな花を、咲かせているからかもしれない。
人が健やかに生きていくには
やっぱり自然とのふれあいが必要なんだと
思わせてくれる道ばたのおばあちゃんたちは
あたしの安心と前進の、源になっている。
すれ違う名前も知らない人たち
もう2度と出会わない人たちにも
ささやかな感謝をこめて
「ただいま」
「おかえり」
かおりより
足元に咲いた小さな花たちに歓喜の声をあげるのは
幼い子供たちや、若い大人じゃなくて
しわしわのほっぺをした、おばあちゃんたちのほうだ。
その花を見た回数なら
圧倒的におばあちゃんのほうが多いはずなのに
彼女たちはまるでそれらを初めて目にしたかのような
新鮮な、明るい歌のような声を出す。
子供たちは、花なんかには目もくれず
あそびながら駆けていったり
若者たちも、携帯やカップルとのおしゃべりに
夢中になって歩いているから
花たちはおばあちゃんに見つけられ
たまにしゃがんで話しかけられたりすると
本当に嬉しそうにそよそよする。
その光景は、美しい「再会」そのものだった。
「また会えた喜び」
それが奇跡だということへの理解が
年を重ねるごとに、深まるからかもしれない。
こころの奥にある静かな草原で
長い人生に培われた温かな土と、光と水が
季節ごとの小さな花を、咲かせているからかもしれない。
人が健やかに生きていくには
やっぱり自然とのふれあいが必要なんだと
思わせてくれる道ばたのおばあちゃんたちは
あたしの安心と前進の、源になっている。
すれ違う名前も知らない人たち
もう2度と出会わない人たちにも
ささやかな感謝をこめて
「ただいま」
「おかえり」
かおりより