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春にイタチくんを亡くし、次もイタチ・・・今度は2匹にしようねと決めていた。
それが、運命の出会いのため、ネコに変わりました。
猫アレルギーのダンナ
一生飼えないと思っていたけれど、何年も服用しているアレルギーの薬のおかげか、症状が出ない。
体質変わった??
よく分からないが、へっちゃらなのだ。
念のため、掃除機をマメにかけたりしてるけど・・・
8月生まれの全身グレイの男の子
今の体重は3キロ! 大きくなった。
あと2キロ近く増える予定
長い手足にしっぽに、優雅に大胆に走り回っています
誰かにくっついて寝ているのを見ていると、幸せを感じます。
今日からお盆休みですが、どこにも行く予定もなく・・・
動かなくなって2年経つ風呂場の換気扇の修理が明日来るので、掃除やら洗濯やら・・・
家の事をして終わりました。
今年の夏、北海道だと言うのにすごい暑い毎日が続いているけど
ようやく最近、夜は涼しい爽やかな風が吹いている
夏もそろそろ終わりだな・・・
明日は世間では終戦記念日、私にとっては母の誕生日と言う方が強い日です。
今も生きていたら、実家に帰っていて、花束を渡していたのかな・・・
石狩では今頃、ワイワイとライブ楽しんでいるんだろうな~
ライジング行きたい~~
あ~ぁ 早くコロッケ揚げて、ビールと共に食べたいよ~
早く帰ってこないかな・・・
8月の誕生日、8歳目指していこう! ・・・と、思っていた。
なのに、金曜日の夜
いつものように、ご飯の後はお気に入りのひざ掛けに包まって寝ていた。
様子がおかしくなって一日・・・
翌日の20時半・・・呼吸が静かになったな~と思って見ていた。
眠るように逝ってしまった・・・。
あんなに痙攣の発作を繰り返していたのが、夕方くらいからしなくなり
全ての苦しみから解き放たれたかのように・・・
静かな最後でした。
本当にかわいいかわいい このイタチのかわいらしさは見た目だけじゃない
一度でも家族にすると、一瞬で魔法にかかっってしまう
次もイタチ、次も! ・・・となってしまう不思議な生き物だ・・・
ある月の水曜日・・・用事があり、この日は休みを取り、朝から出掛けていた。
用事も済み、早めのランチを取り、美容室の予約まで少し時間があったので、知人の結婚祝いを選んでいた。
そんな時に携帯が鳴り、着信を見ると姉からだった。
今日の用事の件かな~と、普通に出た。
「・・・あのね・・・お父さんね・・・お風呂で亡くなってたんだわ」
あまりの突然の訃報に、数秒固まってしまった。
一週間前には電話で話し、3日前には「元気だよ」とメールが着ていたのに・・・
今日も帰ったら報告がてら電話しようと思ってた。
会社に連絡して、美容室もキャンセルして、ダンナの携帯に連絡したがやっぱり出ず・・・
留守電とメールを残し、急いで帰宅。
店の中でも涙が出てくるし、地下鉄でも泣き・・・駅から家までの道でも、状況が頭の中を回り・・・悲しくて悲しくて・・・涙で何も見えない中、歩いていた。
ずっと下書きのまま放置していたブログ・・・
あの日の事を考えると、脱衣所の扉が開いていて風呂場の扉も開いていて、そ~っと覗くと湯船に浸かった父の白くて小さな背中が見えるところが頭に浮かぶ・・・私は見ていないのに・・・。
お風呂のお湯に顔をつけた状態で、お湯からあげると少しニッとした感じの顔・・・・表情は全然苦しそうじゃ無かったって・・・
夜、実家に着き、変わり果てた父と対面
検視の為、病院からついさっき戻ったとの事、腐敗の進みが速いと言うので既にお棺に入っていた。
15時間程、お湯に浸かっていたので顔は赤く、むくんでるみたい
かわいそうに、顔を下に向けていたからかぶつけたのか、鼻の頭が真っ赤になっていた。
お酒好きの父だから、何だか酒やけみたいにも見える
母が入院中も一人で留守番をし、只でさえ寂しがり屋なのに、気に掛けてあげる事もしなかったと、本当に後悔ばかり
今更 何を思ってもどうしようもないのは分かっていても、いつも考えるのは・・・
ごめんね あんな死に方させちゃって、一人で死なせちゃってごめんね
本人はポックリ死ねて、愛する妻のところに行けてよかったのか・・・わからない
ただ、突然居なくなられた私たちは途方に暮れてるよ
乾燥する季節
恥ずかしい話だが、よく乳首が痒くなる
ボリボリかける場所じゃないから、周りを気休め程度にボリボリ・・・・・・
・・・・・あれ???
何だかコリっとしたものがある
何度も何度も触っていたら分かんなくなっちゃった
翌日 風呂に入った時に再確認
・・・・やっぱりある・・・・
今まで乳がん検診なんて嫌だと、絶対に避けていたのに
こうなると行動は早い
ネットで評判の病院を探し、二日後に行って来た。
それまでの間、乳がんと診断されても新しい保険には去年入ったし、がん保険も入ってるから入院費は大丈夫だけど、仕事はどうなるんだろう
休むにしても1週間位なのかな~?とか
全摘だったら・・・こんな小さいおっぱいだけど、どんなんなっちゃうんだろう・・・
前にテレビで温存治療とかやってたな~とか、全摘でも成形手術で再建してたのもあったな~とか
もう・・・色んな事が浮かぶ
こんな小さいおっぱいだもん、命には代えられない・・・・全摘でも受け入れよう
ただ腕とかちゃんと使えるのかな・・・?
バイクに乗れなくなるのは嫌だな
最初 ダンナには内緒で病院に行こうと思ったんだけど、どっちの結果にしても後で言うのはひどいかな~と思い、前日話した。
すごい心配してた・・・私以上に
一通りの検査を終え、しこりは確かにあるけど、マンモとエコー共に何にも写ってないって
乳腺が硬くなってるだけみたい・・・1年後にまた来て検査してねと
数日後の組織検査の結果も大丈夫でした。
母と父の死を経験し、ダンナの心臓発作、自分の命の事も考えさせられるいい機会でした。
ただ・・・・マンモ検査はもう無理かもしれません・・・・・。
激痛でした。 個人差もあると言うけど、ひどかった・・・・。
ちょっと考えただけで、胸が痛くて・・・思い出したくない。
あ~~どうしよう
この事も書いておかなくては・・・・すっかり忘れてました・・・・。
昨年 夏 ダンナが心臓発作で入院しました。
発作と言っても、自分の足で救急車に乗ったんだけど
朝 いつもとは違う痛みだったそうで、「救急車呼んで!」と言われ驚いてしまい、震える手でしどろもどろで電話しました。
幸い近くに、すばらしい心臓の病院があり、そこを指定して運んでもらいました。
突然倒れたとかではなく、意識がある中での搬送
心配ではあるんだけど、大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせて待っていた。
処置のあと、先生からの説明は恐ろしいものだった。
心筋梗塞一歩手前、恐らく狭心症
これから血管の詰まりを造影剤で検査します。。。との事
もう少し遅かったら死んでたかもしれない・・・・。
検査の写真を見てゾッとした。
今にも詰まってしまいそうな血管が、心臓の近くに・・・・・。
翌日 カテーテルでステント入れる手術をすることになった。
ダンナの入院の世話をする事がくるとは・・・・・。
手術も無事に終わり、たったの3日間の入院ではあったけど
ダンナが病院のパジャマを着て、点滴を引っ張りながら歩いてる姿は悲しくなった。
太らせた(?)勝手に太ったんだけど、私の責任もあるね・・・ごめんね
ほぼ同じ食生活 私の血管もどっか詰まりかけているのかな~
痩せろと先生に言われたけど、あれから1年半・・・数キロしか変わってない・・・
来年2月頃に受ける検査もあるし、もうちょっと頑張ってもらわなきゃ
この人って、仕事とかの運はないけれど・・・・
命の運は、子供の頃から強いみたいで・・・・
なんなんでしょうね??
じいちゃんも父親も早くに死んじゃってるから、すごく心配
短くても、あと20年は生きていて・・・・寂しくて死んじゃうから・・・・。
恥ずかしながら、私のバイクは・・・当時バイク屋のキャンペーンで、100回払いローンで買いました。
現金は無いし、2台となると月々の支払いがすんごい事になるから・・・
ダンナは100回払いローンで買ったネロっちからチタニウムへ・・・そして昨年・・・また買い換えた。
バイクの免許を取るきっかけになったバイクへ
ブログの写真も替えなきゃね
そうそうそれで・・・私はと言うと、一途にずっとスラクストン
今年めでたく100回に渡る、長きローンが終わります。
長かったけど、8年なんて結構あっという間だったな~と、しみじみ
去年は色々あって、全然乗ってあげられなかったから、今年はいっぱい色んな所に行こう
早速、7月の連休で行くキャンプ場を予約した。
楽しみ~♪
3月末で、仕事を辞めてからと言うもの・・・根が怠け者なためか、大切な一日を無駄に過ごしている様で・・・
勿体無いと思いつつ、またまたダラ~っと一日が終わっちゃう・・・の繰り返し
20年以上働いてきたんだから、ゆっくりしようとも思うんだけど・・・
また働きだしたら、家の整理とかする暇もなくなっちゃうし、少しずつでも何かしていかなければ
全然気候は暖かくならないし、この時期は山とかではまだ雪が降ってしまうから、車かバイクで念願の一人旅・・・何てことも出来ない。
身だしなみだけは、だらしなくならないように、絶対に午前中風呂に入ると決めている。
風呂に入れば、必ず顔は洗うし髪も洗うから(当たり前)
そうすれば、ちゃんとスキンケアするしドライヤーもかけるでしょう
・・・どこまでぐうたらなんだろう・・・
そっと訪れたって感じ・・・・・・。
父から「そろそろご家族に伝えておいて下さい」と、先生から言われたと連絡があり・・・本当はもう1週間先に帰省する予定だったんだけど、急遽帰る事にした。
土曜日は仕事を終えてから向かったので、実家に着いたのが11時近かった。
翌日もすぐに行く気にはならず・・・帰る3時間前に病院へ
母は酸素吸入をして苦しそうな呼吸を繰り返していたが、普通にテレビを見ていた。
呼吸が苦しいのであまり話は出来なかったけど、テレビを見ながら「お母さん、このCM好きなんだよね」とか他愛のない話をしていた。
足を触るとすごく冷たかった。 母は「動かなくはなったけど、触られるとちゃんと分かるんだよ」と言っていた。 1時間ほど居て、「来週も来るからね」と言うと、「本当? 来週ね わかったわ。 お父さんにさ~車の運転危ないから毎日来なくていいよって言っといて」と頼まれた。
普通に手を振って病室を後にし、実家に戻った。
父と義姉とも話したが、今日見た様子だとまだ大丈夫みたいだね~と・・・。
父の車で駅へ向かい、私は帰った。
家に着いて、12時近くに姉からメールが・・・夕方に母の容態が急変したとの事
父も電話してくれたらよかったのに・・・途中下車して駆けつけれたのにな・・・。
と、思いつつ・・・まだ心のどこかで、母はまだ逝かないと思う自分がいた。 何でだろ??
寝ていると、電話が鳴る。
もうそうなると、結果は1つしかないもんね
姉からで、電話に出た途端聞いた。
「死んだの?」
切ってから時間を見る。 4時半過ぎ・・・息を引き取った時間は祖母ちゃんと同じ時間・・・
涙は出なかった。
ただ、あ~とうとう逝ってしまったんだなと・・・本当なのかな~とか、信じられなかった。
12時間前には生きていたのに、死んだ?? うそでしょう!!
4ヶ月ちょっと・・・・・
ガンは確実に母の命を奪ってしまった。
肺がんは生きながら溺れるような苦しみが長く続くと聞いていたが、確かに後半は酸素吸入は必要だったけど、そこまでの苦しみは見た感じなっかたし、最後に話も出来て本当によかった。
欲を言えば、家に帰らせてあげたかったな~
春を見たかっただろうな~と、思うだけ・・・・。
夕方実家に着いて、母のもとへ
寝てるみたいな安らかな顔を見たら・・・涙が溢れてきた。