父が虹の住人になってから三七日が過ぎました。
お彼岸ということもあり、昨日は近くのお寺へお参りに行ってきました。



自分の気持ちの整理が出来ずに、父の死をまだ受け入れられず信じられずに日々過ごしていますが、最後に過ごした父とのことを残しておきたいと思いました。私の苦しい気持ちのやり場に困ったあげく....ここにたどりつきました。




大腸がん末期
肺気腫
腎不全




8月下旬のある日、兄から父が危篤と連絡がありました。私と娘はまだ夏休みでしたが、息子は2学期が始まっていました。
どうしようかと悩み、けれど、いよいよその日が来てしまったのかと動揺しつつ....主人に連絡しました。主人は、すぐに行けと言ってくれ、私1人新幹線に飛び乗りました。


新幹線に乗っている間、母からも連絡があり、倒れて救急車で運ばれたけれど、今は意識も取り戻し笑っているよと聞きました。ただ....主治医の先生からはからは、延命治療をするか自然に任せるか....いま決めてくださいと言われているとの話があり、残りの時間が幾日もないのかもしれない....と漠然と感じていました。


新青森の駅に着くと、姪っ子が迎えに来てくれ病院へ連れていってくれました。


病室へ入るなり、帰省した時、一緒に買いに行ったシジミ貝。買って持たせたかったシジミ貝なのに、荷物が多いとか悪くなっちゃうとかの理由から私が持ち帰らなかったことに怒っていました。明日十三湖に買いに行って来いと言ってみんなを笑わせていました。
こんな状況でも、想いが溢れているのを感じました。
私の兄に、はなに美味しい魚を食べさせてやれ、東京は魚なんか食べられないからと言っていました。梨や柿やうなぎが食べたいと話したりしていたので、一日二日くらいでまた東京へ帰ることになるだろうとその時は思っていました。
酸素マスクこそしていて、声もか細いながらも、しっかりしていたので、近くの親族も一旦帰ることになりました。私は少し元気になるまで付き添うつもりだったので泊まることにしました。


その日は、看護婦さんからストマに溜まった便の処理の方法を教えてもらったり、洗濯したり、手をさすりながら話しかけたり....父のためだけに過ごしました。


夜の10時前くらい、父が私に眠くないか?と話しかけてきました。私は10時前だったので、まだまだ眠くないよとすぐ答えましたが反応はなくウトウトしているようでした。
間もなく私がお水飲む?と言うと頷き、水差しに入れ飲ませると、うまいな~と心からつぶやきまた眠り込んでしまいました。


そしてそれが、父の最期の言葉になりました。



そのあと話すことはなかったのですが、苦しかったのか、胸につけてあるモニターを外したり、酸素マスクを外したりして、看護婦さんが何度も様子を見に来られました。また、床ずれ防止のためか2時間おきに体勢を変えに来られていました。なんだか緊張して一睡もすることなく、朝を迎えました。


次の日。
朝、主治医の先生が様子はいかがですか?と来られました。そのあと、尿も便もでなくなってきているし、呼吸も安定していないので、あと一日二日くらいの時間だと伝えられました。
いつもは同居していた兄からの又聞きだったので、初めてお医者様から父の状況を直接聞かされ....本当にショックを受けました。
ずっと覚悟していたつもりだったのに、あまりのショックに泣き崩れてしまいました。
何を覚悟していたのか....と思い、何も覚悟なんてできていなかったのだと思いました。



次の日は、母も付き添うことになりました。実は母も父と同じ大腸がんで手術をしたばかりの身でした。母の体も心配でしたが、主治医の先生が話されたことを母に伝えると一緒にいたいといい、3人で過ごすことになりました。


その日の夜は、前日とは違い、なぜか看護婦さんの出入りがぐっと少なくなりました。
呼吸を吸う時間と吐き出す時間の感覚がながくなり、呼吸が止まってしまうんじゃないかと緊張して一晩中父の呼吸を確認していました。
夜中に突然病室の前に衝立を立てられたり....
緊張と不安を抱えた長い長い夜を過ごし、父にとって最後の朝を迎えました。

その日は、夏終わりの青空で気持ちいい朝だということ、父の好きな朝を迎えられたこと、ついこの間一緒に行った津軽半島が一望できていることを手をさすりながら父に伝えました。
そして、早く元気になって東京遊びに行こうよといいました。今のところへ引っ越してから来たことがなかったから、ずっと来たがっていたので。

そして、とても気持ち良さそうだったので、窓を少しあけました。少し冷たい風が入ってきて、ほら、外の空気気持ちいいね、すこし秋めいてきたねと話しかけました。

この日の朝は、朝を迎えられたことに心から感謝しました。

いつも何気なく迎える朝も、あたりまえではなく、奇跡の1日であるということを身をもって感じた朝でした。そんな風に思えたのも初めてでした。



この日も看護婦さんや主治医の先生が来られましたが、もう時間の問題です....と言われました。今日を超えることは難しいと....。
あわせたい方がおられましたら急いでくださいと言われました。



まず、兄に連絡し、そのあと主人に連絡しました。
息子に会わせてあげたいと思いました。
前の日、父に会いたいと泣きながら電話してきた息子....。
話すことはできないけれど、耳元に携帯をつけて息子の声を聞かせると、呼吸して動くかすかな肩で返事をしているように見えました。

実は、父は障害をもつ息子のことをとても心配していましたし、いつも気にかけてくれていました。
その思いが息子にも伝わっていたのか....息子も父のことが大好きでした。


主人も子供達も準備やなんだで7時代の新幹線になりそうだとのことでした。


主治医の先生から夕方くらいまで持つかどうかと言われましたが、あまりに静かな時間が流れ、なんら変わった様子のない父をみていて、あとすこししか残されていない消えかけてる命だなんてとても思えませんでした。


夜8時くらいには、血圧が低くなってきて、呼吸も不安定になり、いつモニターの数字が0になってしまうかと不安と恐怖心が強まっていきました。

私は父の首の後ろに手を回し、抱き抱える形で呼吸が止まりそうになると軽く揺さぶって声をかけ続けました。落ち着くと、手をさすりながら話しかけました。


幾度となく危険な状態になりながらも、一人一人身内が着くのを待っているかのように頑張って呼吸する父をなんだか切なくなりました。


主人や子供達が着くのが23時過ぎの予定で、何度も間に合わないかも....と脳裏を横切りましたが、父にみんなのことを待ってくれているのに、私の主人や子供達を待ってくれないなんてずるい、私の最後のわがままだから....お願い、聞いて!と知らず知らずに泣きながら伝えていました。

途中、もうダメだ....と何度もなるたび、息子や娘に電話をかけ声を聞かせました。
父の目はつむっているのに、やっぱり肩で返事をしているようにやっとの思いで呼吸しながら、目から何度も涙が溢れ、なんどかハンカチでふいてあげました。本当に泣いていたかどうかなんてわかりません。ただ単に体の筋力が落ちて体の水分が出ていただけなのかもしれません。だけど、私には父の涙に思えてなりませんでした。
1分1分の時間が長く、子供達が着くのを待っている時間が本当に苦しかったです。父もそうだったのかもしれません....。


23時すぎに、廊下を走る音が聞こえ、息子と娘が病室へ入ってきました。

父は待っていてくれました。私の最後のわがままをきいてくれました。

息子は最初、父の様子に驚き、近寄れない様子でしたが、固まったまま泣いていました。
少しすると状況を呑み込めてきたのか、手をさすったり、足をさすったりしながら話しかけたりしていました。


私の家族が揃い落ち着いたころ、モニターでは、父の呼吸や血圧の数値がなんだか急に落ち着きはじめていました。日付も変わり、きっとあと何日かはもつね....と兄が話して、私や兄の子供達は、控え室で仮眠させようか....と病室から出させました。
病室に、母と兄妹と兄のお嫁さんだけになったときの一瞬の間でした....

抱き抱えていた私の腕が急に重くなり、父が苦しそうに歯を食いしばり急に硬直しました。


父の呼吸が0になってしまいました。


心臓もまもなく0になりましたが、わたしが揺さぶると心臓は動く値を示すので、ナースコールを何度も押しながら、父に起きて!!と叫びました。


冗談かと....思いました。


何度も連打してナースコールを呼んでも、なかなか来てくれないお医者様と看護婦さんに死んじゃうじゃない!と焦りつつ....父を揺さぶり、冗談でしょ!とやや怒りにも似た感情が沸き上がっていました。



まもなくゆっくりと主治医の先生と看護婦さんが入って来られ、死亡確認をされました。
0:50でした....。
もう....その前から亡くなっていたんだと思います....。

後から聞いた話では、新幹線で向かっている子供達のために、少しでももつようにと心臓にお薬を入れてくれていたとか....。
お医者様のおかげで息子たちは、父に会うことができたのだと知りました。
あの時間まで、父は本当は生きてはいなかった....そう思い、あわせていただいたことに感謝の気持ちでいっぱいになり、ありがとうございましたとお伝えいしました。




なんだか....泣きつかれていたのか、信じられないのか....いま、たった今まで息をして生きていた父が、あっけなく呼吸が止まり、みるみる顔色が変わっていく父、亡くなったこと、そんなことが起きていることが頭ではわかっていても心が追いついて行かない状況で、今起きている状況が、全く理解できませんでした。


一旦病室から出され、着替え終わった父に再度あった時、最後に歯を食いしばった父ではなく、優しく微笑んでいる顔でした。でも、そこに眠っているのは亡くなった父ではなく、普通に眠っている父にしか見えず....私の目の錯覚か、胸が呼吸で動いているようにどうしても見えるのでした。




そんな私とは違い、一旦、病室から出されている間、娘と息子は不思議な体験をしていました。

娘は、病室から出された直後、父と廊下で会ったそうです。何か話したようですが、聞こえなかったのだと....。
その後、息子は病院の1階の玄関で父とすれ違ったそうです。


主人以外は意外に霊感があるので、たまに見えたりすることはあるのですが、私には姿を見せることはしませんでした。




そして、父と実家へ帰りました。

落ちついて眠ることなんてできません。今起きていることは夢であってほしいと何度もそう思っていました。


亡くなった次の日、納棺日でしたが、父を寝かせてある中二階の仏間には棺が入らないことから、火葬される日に納棺することになりました。
その間ずっと、中二階の明るい光が降り注ぐ仏間からガラス越しに見えるリビングをふかふかのお布団に眠りながら見守っていたのでしょう。なんだか父らしいな....と思いました。
狭い棺の中なんて、入りたくない....頑固な父の声が聞こえるようでした。



棺には入らないけれど、旅支度をさせるために綺麗に体を拭いたり....という湯灌がありました。一人一人させていただき、一人一人、ちちとの思い出をおくりびとの方にはなしていました。


私は末娘で可愛がられたけれど、遠くに離れていて、何も出来なかったことが悔やまれる話をしました。そのとき、最後の会話をした話を何気なく話しました。眠くないかといわれたこと、水を飲ませたらうまいな~と言ったこと....。
すると、おくりびとの方は、そうなんですか....。でも、死に水をとってあげられたなら最高の親孝行ですよ....と言われました。

今まで死に水をとる....と言う意味は、亡くなったあと最期の水を口にガーゼか何かで濡らしてあげることだと思っていました。
けれどその方がいうには、亡くなる前、人は水を飲む、その最期の水を飲ませることを死に水をとる....というんだと、教えてくださいました。
死に水をとる方というのは、やはり故人がやってほしいと思う方を選ばれるといいます、愛おしかったんだと思いますよ....と。


私は、我慢していた涙がだーっと溢れだしました。
末娘で歳も離れていて、一緒に過ごした時間が兄よりも短くて、病気になって1ヶ月に3回も手術しても、ストマになっても、車椅子になっても、何一つ父にしてあげることも出来なくて....もう長くないって覚悟もしていたし、死んだって泣いたりなんかしないって思ったりしていたのに....

そんな私でも、父の最期の水を飲ませる役を担わせてくれたこと。

短い付き合いの中でも、最大の思い出を残してくれたこと。

私が、何もしてあげられていないと悔やんで悲しんでいたから....苦しまなくていいよと父が言ってくれてるような気がしました。


気持ちが張り裂けそうなくらい苦しくて、父の愛情の深さに涙が止まらなくなりました。



夏休み、実家へ帰った数日間。
そのうちの一日、どうしても竜飛岬を見たくて行く予定を立てていました。当日の朝、何故か父も一緒に行きたいと言い出して....。
長時間の外出は難しいと思っていたのに、一緒に行きたがった....。そして、一緒に津軽半島をぐるっと一周、父が疲れるだろうからと駆け足ながらの一日がかりの行程で、本当は痛みやなんかもあったんだろうけれど、見ておきたいところがたくさんあったんだろうと今は思います。

竜飛岬の近くで、津軽半島が一望できる展望台に行きたいと連れて行ったのですが、そこが好きな場所だったこと。父の遺影を探しているとき、何枚もその場所の写真が出てきたことで知りました。
そして、私の記憶から全く消えていたその場所で、父と一緒に写っていました。
どんな思いで、あの景色を見ていたのかなと考えると切なくなりました。
一緒にしじみラーメンを食べようって言ったのに、父は食べなくて....焼きおにぎりとしじみ汁を食べた。きっと食べられなかったんだよね....。


そして、この外出が最後の外出になったこと....。




私にはもったいなさすぎる思い出を残してくれました。




父はもう話すことができないはずなのに、誰かの言葉や何気ない流れのなかで、きちんと意味を教えてくれていることに気づいていくたび、父が私をどれだけ愛してくれていたのか痛いほど伝わってきました。





そして、いよいよ本当のお別れの日。
もう二度と父の顔を見ることができない切なさと、自分の父が焼かれてしまうありえない状況を受け入れられず、なんとも言えない苦しさで押しつぶされそうで、立っていることも辛いほどでした。
何度も何度も、夢ならいい加減に覚めて!!と心強く念じ、けれど一向に覚めることなくどんどん迫り来る悲しい現実に、胸が締めつけられ窒息しそうでした。



そして父は、本当に虹の住人になりました。
姿が見えなくなってしまったことで、諦められたのか....と思っているのですが、そうではなく、外出好きな父がどこかへ遊びに行った感覚です。
だからこそ、なかなか受け入れられずいるのだと思います。





父が亡くなる直前も、そして亡くなってからも、たくさんのことを気づかせてもらいました。


父が大腸がん末期と宣告され、手術をしている頃、まもなく母も同じ病気になっていることに気づいたけれど、きっと父が母の命を繋いでくれたのだと思います。
亡くなってから見つかった手帳に、母の入院日、オペ日が書かれていました。
そして、男らしい達筆だった文字が、だんだん乱れていく様が残されていました。



今思えばあの時....と言うことがたくさんありました。けれど、なにも気づいてあげることができなかった....。


私達を心配させたくないから、なにも言わなかったんだよね。


ずっと痛いなんて言わなかった父。
自分の弱いところを見せるのが嫌だったんだろうな....。痛いなんて言ったら、退院出来なくなってしまうから我慢していたんだよね....。
でも....痛いって言ってくれたら、もう少し長く生きられたんじゃないかって、思ったりする。
もっと話を聞けたんじゃないかって....。
どれだけ我慢していたんだろうね....。
辛かっただろうね....。


そして、迫り来る死がどんなにか怖かっただろうね....。
だから、朝がくると安心すると言っていたんだよね....。



私が実家へ帰っても、駅や空港までもう迎えに来てくれない....。

娘が歩けなくて修学旅行に行けないと学校側に言われたのに、修学旅行に行けないなんてかわいそうだと、みんなと同じ場所に連れて行ってくれた父はいない....。


父の声が聞きたい....。


父に会いたい....。



もう二度と会えないけれど....
いつかまた会いたい....。


父に愛された私は本当に幸せものでした。
大切に大切に育てられました。


父の娘に生まれてこられて、幸せでした。
次に生まれ変わる時も、父の娘に生まれてきたい。



退院した日、ガソリン代だすからまた来いよってやっと出せる声で言ってくれたのに....全然聞こえづらくて。
笑ってハイハイって応えた私....。退院して帰って来られた安心と嬉しさをもっと共有してあげられればよかった....。





今は写真を見るのも辛いけど....
父に愛された記憶は私の宝物だし、これからもずっと、永遠に私の父です。




まだまださよならなんてできそうになくて....

ごめんね。




今日、兄から電話があって父が危篤との連絡を受けました。
すぐに新幹線に飛び乗り、今日は父と2人で過ごしています。

意識は....今はうとうとしていて昏睡?っぽいです。時折、意識がクリアになって冷たいお水を欲しがり、飲ませると美味いなぁ....と言って、また眠りま
す。



父で2人で過ごすのは、きっと....私が幼稚園くらいの時以来です。


年の離れた兄が、高校受験のために母と前泊したため、父と2人でお留守番になったのが私の最後の記憶です。


そのとき、父は子洒落たステーキ屋さんに連れていってくれました。
テーブルに揺れるローソクランプが今も鮮明に覚えています。


父との思い出はたくさんあります。


私がおねしょしたときに、母には内緒でこっそりお布団をほしてくれたこと。

一緒に出かけるとお孫さんですかっていわれたこと。

よく肩ぐるまをしてくれて....そうすると、父の耳の中に100円玉が入ってたこと。

仕事で早く出る母に代わって朝ごはんを作ってくれたこと。

料理が苦手なくせに、チャーハンが食べたいと言った私のために、一生懸命作ってくれたこと。でも、ベトベトだったこと。
でも、すごくうれしくて、美味しい~と父に気を遣って子供なりにもちあげたこと。

結婚するとき、何処の馬の骨かわからん奴にやれるか!と母に怒鳴ったこと。だけど、本人目の前にするとこびる父。

結婚式では、クシャおじさんと爆笑されるくらい号泣した父。

今日も、酸素しながらうとうとして、病院に着いたばかりのわたしに、しじみ貝明日買ってきて持ち帰ろという父。

数え切れないたくさんの思い出。

手を握りながら、さすりながら、早く元気になって!!東京遊びにいこう!って話しかけると
うん、うんとか細い声で反応してくれる。

もう会えないかもしれないと思っていたから、今この一瞬一瞬を大切に過ごしたいと思います。


父さん、頑張れ!!



久しぶりにアップした先日のブログ....

編集しようといじっていたら、間違って削除されてしまいました。_| ̄|○
せっかくいいねしてくださった方もいらっしゃったのに....大変失礼いたしました。

また同じような記事を....とも思いましたが、さすが
に書けないよぉ~ということで、断念いたしました。

備忘録代わりの写真は別日にアップしますっ。
なんか上手くあがんなぁーい。(;▽;)