古代史好きでないとご存知では無いと思いますが、

古代から大陸と日本の中継地点であった壱岐島に、
カラカミ遺跡と言うものがあります。









簡単概要はこちらで😅

製鉄………とまでは行かない。
(今のところ。)


現時点で、
日本最古の鍛冶工房のあった集落遺跡です。




弥生時代の高地集落で、

私が印をしたので正確では無いけど、
おおよその場所が
下の青印の辺り。


高低差がこちらの方がわかりやすいですニコニコ

低地の薄緑の場所は、
堆積地だったり干拓地であったりで、

古代は海 又は満潮時の水路であったであろう地域です。


なので、風待ちの入り江も多く、
島の中央部は
西の大陸側からの物資を
東の九州本土や本州に向けて運ぶ貿易拠点となってたであろう、
(もちろんその逆も有ります)

一支國(いきこく)のエリアです。



でも、今日はあまり一般的でない
カラカミ遺跡の方グラサン



最初に貼りました九大の考古学研究室の文章にもありますように、

こんな海際なのにちょっと高地にあるんです。


それもなだらかな台地ではなく、
海からだと 結構そそりたった山の上の
土地です。

鍛冶材料の銑鉄などを船から運びあげるのに、
ちょっとためらわれる地形です。

それこそ 一支國があったと思われる原の辻(はるのつじ)の方が、
労力少なく銑鉄を輸入して、
鍛冶加工後に九州方面へ輸出とかしやすい。


鍛冶や製鉄に必要なのは火力です。
火力の高い樹木が多かったのもあると思います。

けれど狭い島です。
樹林帯にさほどの差異はありません。



そのーーーー💦

考古学研究室の方たちは書いてませんが、
この辺は高地なのに

湧水(わきみず)があるんですね


玄界灘に浮かぶ島で、

写真の通り、とても高い山があるわけではない。
海から急に立ち上がった高地の台地って感じです。
けれど、その高地の台地に、
結構豊富な湧水や、水の枯れない井戸が
たくさんあります。


鉄器・鍛冶加工の基本は、
火力と精錬するための「水」。

この燃料となる樹木はもちろんですが、
豊富な「水」が、

この高地に 鍛冶加工集落 が出来た理由のひとつではないかなぁニコニコ




なぜ高い山がない島なのに湧水があるのかと言うと、

これは東北大学の地質学の先生から聞いた話ですが、
水源は佐賀県の天山辺りなのだそうです〰️。






佐賀からの地層の続きに壱岐は有り、
佐賀の山に降った雨が地中を通り、
サイフォン現象で壱岐の高地に湧出するんだそうです。

その東北大学の先生は、
業界から頼まれて
新たな陶土・陶石も探しておられて、

壱岐に伊万里と同じ陶土帯がある事などから、
地質を調査したら、
佐賀から続いている地層である事がわかったそうです。

学界に発表してるかは存じません口笛

まぁ、そう言う理由で湧水がある島なんです。


カラカミ遺跡の近くに水神社(みずのじんじゃ)って言う地元民もあまり知らない神社もありますし。
そこの神社のすぐ下にキレイな湧水があります。





カラカミ遺跡と湧水の関係、、、

鉄器・鍛冶加工集落には、
精錬の必然として水が必要だと気づいたのは、


録画してたこちらを視聴して ⬇️

NHKの新日本風土記の「有明海」の回にて。




有明海に面する諸富町には
徐福さん伝説があり、

徐福さんが上陸してすぐ見つけて使用した井戸ってのが現在もあり、大切にされてます。



で、番組に出てきた地元のオジサンが、
言い伝えとして

「上陸したらすぐ井戸を探しよったらしい。
なんでかったら、ほら、金属、
鉄の精錬とかに水がいるけんですねー」
(正確では無いけど😅だいたいこんな感じ)

って、おっしゃってました~。


そこで、 ポン!びっくり

そっかあ。 弥生時代とは言え、あんな辺鄙なところに鍛冶加工集落があったのは、
「水」が決め手だったのかも〰️?

と、思った次第です。



徐福さんご一行の伝説は各地にあると思いますが、とりあえずこちらをニコニコ ⬇️


「今から2200年前(弥生時代)、秦の始皇帝の命を受た「徐福」は、不老長寿の薬を求めて東の海に船出し、黒潮に乗って有明海にたどり着き、今の佐賀市、金立山でその薬を発見したと言われており……」



金立山、、、「金山」と名の付くところは
たいてい金属の材料を採掘した場所です。








さて、伝説通り徐福が
「不老不死の薬を探しに」 来て、

見つけたとされる生薬がここに紹介されてます。






アオイ、、葵

カンアオイと、

賀茂神社の紋の
双葉葵も 同じグループ。




しかもこのカンアオイは、生薬でもあるけど
毒でもある。。




と、ここまで書いて本日時間切れ😅💦


②に続きます~🙇