きょうの新聞の話題から(2022.12.5)
●ハンセン病患者に人体実験~京都帝大に連なる人脈(京都新聞)→戦時中、国立ハンセン病療養所•菊池恵楓園(熊本県合志市)の入所者に対し、陸軍が「虹波」と名付けた薬剤を投与する人体実験を行い、9人が死亡していたことを示す文書群を同園が初めて開示した。
きょうの新聞五紙+京都新聞の中で出色の記事だった。
同園での人体実験で死者が出ていたことは知られているが、一次資料の全容が明らかになったのは初めて。
虹波は、「極寒地作戦に於ける人体の耐寒機能向上及大高度に於て酸素取得を容易ならしめんとするもの」とされ、兵器 開発部門が兵士の極限状況での能力向上を図っていたことに応じることを目的に開発された薬剤らしい。
しかしこの虹波という「薬剤」は、「写真の感光剤を合成したもの」だというから呆れる。
同資料によれば、1942年12月から6~67歳の入所者370人以上に投与され、死亡9人。効果として「手指の運動機能」「視力」などが列挙してあるが、病原菌に作用しないと明記され、全快例はない。
44年5月の報告では、37歳の男性患者が、注射約10時間後に「全身の血管に針の差入した様な」痛みや頭痛を訴え、けいれんを起こした末に意識が混濁し死亡した例を記載している。
草稿には患者を「材料」と呼び「実験は苦痛のため困難」と記載しているものや、逃亡患者2名との記載もあった。
動物実験さえ経ることなく、静脈注射、脊髄菅腔内注射、吸入、座薬、服薬など、投与方法を手当たり次第に試している。
激しい苦痛や逃亡の記載があり、当時の医療倫理水準に照らしても人権を無視した異常なやり方で、中国人捕虜らに生物化学兵器開発のために人体実験を行った陸軍731部隊とも共通する、強制収容施設という閉鎖空間での人体実験だ。
菊池恵楓園所蔵の1949年講演録には、「第七陸軍技術研究所が北満の寒地作戦に利用する目的を以て、波多野教授の感光色素の生物学意義に関する研究を取り上げ」と書かれている。
この波多野教授とは、この人体実験の折に第七陸軍技術研究所嘱託だった熊本医科大学教授•波多野輔久であり、戦後のハンセン病患者隔離政策をしゅどした菊池恵楓園の園長•宮崎松記と同じく、京都帝大医学部の卒業生だ。
そして、ここで虹波を投与されて死亡したハンセン病患者の遺体を解剖したのは、波多野と同じく、熊本医科大学の教授•鈴江懐。この鈴江懐も京都帝大医学部卒であり、のちに京大医学部教授におさまっている。
京大医学部は、旧満州で捕虜らにペストなどを感染させるなどの生体実験を行った731部隊に、講師クラスの研究者を送り込んだ。
虹波の論文は森茂樹京大教授ら京大医学部病理学教室出身者の研究会が京都で発行した会誌に戦後も掲載されている。
鈴江は、熊本時代の虹波研究を「波多野教授とは同学の友人として常に研究発展の模様を聞かされていた」と回顧しているという。
また、今回確認された菊池恵楓園の虹波資料群でも、宮崎園長は死亡例の解剖を鈴江に依頼している。虹波の試料を波多野に提供した記録もあった。
この鈴江らは戦前、菊池恵楓園入所者の骨格標本を作成していたことを、熊本日日新聞が2013年にスクープした。
これを受けて翌年、熊本大は、鈴江らが1927~29年にハンセン病患者43人の遺体を解剖し、20体の骨格標本を作製していたと発表した。
「承諾を得ないまま骨格標本をら作製し、訪問者に誇示したことは故人への配慮を欠き、医学倫理上問題がある」と陳謝した。
731部隊創設者の石井四郎軍医中将は京都帝大医学部教授•清野謙次の元で学んだ人物である。
そしてこの事件の主役•鈴江もまた清野の教え子だった。清野がハンセン病患者研究を鈴江に勧めたのだそうだ。
(上記サイトより転載。下線はブログ主。)
注意 内容は 感光色素の全般のものです。
薬事法上の ルミンAの効能効果と違うこと
ご了解ください。
歴史 感光色素の生理作用は 外国に於いては 生態組織の染色研究の際 思いがけなく抗菌作用が発見され、生化学試薬として 研究開発された。 日本では 外国と違って細胞賦活活性を念頭に疾病治療薬の研究が主流となっている。 ルミンは1920年、理化学研究所の尾形、伴野両博士らによって合成され、1940年に 満州医大の波多野教授によって生物活性作用の研究が始まった。 波多野のアイデアは「健康に欠かせない太陽エネルギーを より効率よく取り込む物質 それが感光色素ではないか。」と考えたのが研究の動機になった。 光エネルギーをうまく取り込む感光色素によって 体内の新陳代謝が活発になり、生命力が増強されると考えた。 このアイデアは 旧日本陸軍が 注目するところとなり、感光色素は闘争力を高める疾病治療薬としての研究が 理化学研究所や熊本大学などで 精力的に行われた。 シアニン色素の虹波および紫光に 強心、利尿、呼吸促進作用が 見出され、やがて造血臓器の賦活、新陳代謝の亢進、基礎代謝 免疫 抗菌性などの生物学的作用が 発見された。 臨床的には 熱傷、凍傷、難治性潰瘍、アレルギー性疾息、急性慢性化膿性疾患、神経痛などの有効例が 報告された。 1949年 感光色素の作用解明を 試みるために「感光色素研究会」が発足した。 研究の成果が 40年に渡って発表され 40年代の臨床結果の理論づけに大いに役立った。 1950年代に錠剤ルミンAと 注射用粉末プラトニンが 株式会社日本感光色素研究所(現 (株)林原生物研究所)より発売された。 1980年代に アレルギーを中心に 免疫系を調整する作用が 山本格(岡山大学薬学部)らによって証明された。 1990年代に至って、山本格、中川美典らの研究によって 感光色素が マクロファージを活性化することが見いだされ、感光色素の免疫賦活作用の全貌が 明らかにされた。 |
『虹波は、「極寒地作戦に於ける人体の耐寒機能向上及大高度に於て酸素取得を容易ならしめんとするもの」とされ、兵器 開発部門が兵士の極限状況での能力向上を図っていたことに応じることを目的に開発された薬剤らしい。』
『このアイデアは 旧日本陸軍が 注目するところとなり、感光色素は闘争力を高める疾病治療薬としての研究が 理化学研究所や熊本大学などで 精力的に行われた。』
![凝視](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/629.png)
![滝汗](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/039.png)
「前に、“永遠の未成年者の実験場は東方だ”と言ったが、超人類を生むことについても、東方が実験場になるかもしれない。近未来、天変地異が襲うヨーロッパ各国にも、大戦の舞台になる中東にも、米ソやインドにも同じことが起こるかもしれない。
しかし、なんといってもアーリアだ、われわれゲルマンだ。それが頭ひとつ抜いて超人類を創出する。それが創造されさえすれば、もはや我々に勝てる者はない。
考えてもみたまえ。世界中の猿が連合して人類に立ち向かってきたとしても、近代兵器を持ったほんの数人の人間に勝てまい。同じことが、これまでの人類と今度現われる超人類の間にも起こるのだ」
![滝汗](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/039.png)
![滝汗](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/039.png)
『これらの研究成績は、終戦直後、米軍に没収され、論文としては発表されていない。』
(上記より転載↓ 下線はブログ主です。)
奥平剛士さんは,テルアビブに向かう前日にローマから重信さん宛の手紙を投函していて,事件後,重信さんのもとに届きます。そこには,“神ははらからの為に命を棄てたまいけり,汝も又はらからの為に命を棄つべきなり・・・。という声が届きます” 同封されていたご両親への手紙は,“ローマの空は明るく,風は甘いです。町は光にあふれています。 少年時よみふけった、プリュータークの思い出が町の至る所で、 僕を熱くさせます。 仕事がすみしだいお二人のもとに帰ります。ではお元気で。さようなら”と結ばれています(『革命の季節』)。翌日に,無差別殺人を計画している人
(転載終わり)![物申す](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/621.png)
![びっくり](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/014.png)