あっという間に6月に………😅



裏山のツルバラの満開は5月末でした🙂



前回お話した自宅井戸付近にある石仏。



詳しい方が言うには
これはキリシタンのものだろうと言うことでしたが、


前回記事に貼り付けましたサイトより




これらもキリシタン関連だとのこと。

結構たくさん残ってるんだそうで、
Ω(オメガ)が隠れてたり、

なんとなく石に彫られた顔に
特徴があります。




ちょっと話は飛びます(^^;)

現在放送されてる大河ドラマ
『光る君へ』は視聴をスルーパスしてたのですが、

藤原伊周の“長徳の変” は、
どう描いてるのかと
その前後含めて見させていただいてました。

そしてふと、
元号の「長徳」は長徳の変もあったのですが、疫病も流行り、

長徳は⇨ちょうどく とも読めるから
これは不吉であると改元をした

と言う記憶がよみがえりました🙂


と、前置きが長くなりましたが

主人の家の菩提寺は
長徳寺(ちょうとくじ)と言います。


禅宗の曹洞宗だし、
てことは鎌倉 時代だし、
おそらくそんな都の不吉だなんだとかも既に過去の事。

調べると全国にも幾つかある寺名だしうーん

でもまぁ 一応検索してみました~🙂


すると、
今まで知らなかった(!)
天正少年遣欧使節の一人
伊東マンショ


の、従兄弟のお墓が長徳寺にあると
Wikipediaに載っておりました。



伊東義賢の父親と
伊東マンショの母親が兄妹との事。

ここに埋葬された理由は、
Wikipediaによりますと
秀吉の朝鮮出兵の帰りにこの土地で
病没したのだそうです。


いやーー、今まで聞いた事無い凝視

住んでいても知らない事って
たくさんあるものだ~。ホントニ。


昨日の日曜日が
義母の百箇日供養でしたので、
供養後に和尚様にその事を尋ねてみました。

すると、現在のお寺は近在の四ヶ寺が
明治以後ひとつにまとまったもので、

それは江戸時代の長徳寺の事であろう
との事でした。

海岸にほど近い、
蒙古襲来の千人塚の近くに
(蒙古軍が最初に上陸した海岸)
江戸時代のキリシタン墓が幾つかあり、

昔は木の十字架✝️が立ってましたが、
今は………どうでしょう……
朽ちてるかもしれません。

との事でした。

昨日の夕刻、買い物帰りに
主人とその四ヶ寺があったであろう場所と、
キリシタン墓の近くを車でグルッと回ってみました。

千人塚の近くなので、あまり目立たなかったのだろうと思います。

元々が地元の人もあまり寄り付かない場所ですから お役人もおそらく行かなかったのかな。



教科書では厳しく取り締まったとありますし、
実際そう言う時もあったでしょうが、

嵐が過ぎると

もしかしたら現在の
「交通違反取り締まり」みたいに
見つかったら困るけど😓ぐらいの
状態で、

密貿易もあってただろうし、
半ば黙認して隠してたのだろうなぁと


主人と話しておりました。


しかし、、、

長徳寺と検索しただけで他に二つも
隠れキリシタンとの関連が見つかるのは、

お寺の名前が元々その役目をしていたのか、
或いは禅宗……もしかしたら仏教界全体で

先に神仏習合したように、

そこに西洋の神様も習合した感じで
供養されてたのかもしれないなぁニコニコ

なんて事も考えてみたりした日曜日の夕方でした。




一関の長徳寺のご紹介にも書いてますが、

禁教令のあと、
肥前松浦や佐賀、筑後や福岡も

キリシタンを門徒として匿ってあげたお寺はたくさんあるそうです。









さて、 斎藤真一さん と言う
画家をご存知でしょうか。

私が持ってる本より。


この、 盲目の門付け瞽女(ごぜ)の
シリーズが有名でした。


ちょっと独特なタッチと顔で、
私も一時期 斎藤真一氏の絵を
所有しておりました。










けれど、

本日の記事の上の方に貼った
隠れキリシタンの 石仏達や、


その他にも近在の隠れキリシタンの石仏↓






あれ?モチーフが…………


うん、
おそらく  斎藤真一氏は

隠れキリシタンの事をよく知っていた方だったんだろう グラサン

と、結論致しました。


ソー言えば、絵を買った時
画廊主の方が、
斎藤先生は当時70歳ぐらいだったと思うのですが「女子大生くらいの若い方と逃避行中だ」とおっしゃってました。
東北あたりだったかなぁ~ 逃避行が。
芸術家と結婚するって大変だと思ったのでした。







で、、まだ記憶に引っかかるモノがあるなぁと


本棚からこれ⬇を引っ張りだし😅




竹中英太郎 氏が描いた
江戸川乱歩の『陰獣』の挿絵が
私の記憶に引っかかってた絵でした。






タッチはいろいろで
こんな絵も描いてます🙂






気になる脇の本、『小栗虫太郎集』は
重し代わりです(-ω-;)


竹中英太郎 氏は、
竹中労 氏のお父上。

執筆陣が………😅



あまり大っぴらに他人に見せられない本だったのも
思い出しました~。












追記

皇室関連でメッセージを交わしてる
ブロ友様達へのご参考に。。




竹中労 氏 のWikipediaより🙂






一応、「要出典」ですが。

無きにしもあらず。。。

いろいろ わかりませんの事ですね
(-ω-;)