テレビの録画番組が録り溜まり、

どれを消そうか…………


しかしどれも消し難く。。



ほぼ1ヶ月ぶりくらいの、久しぶりの休日の今日。

(田舎の本家に年末年始の休暇なんてのはありません。キリッ凝視)



録画消去チェックのつもりで

古いNHK特集

『井伏鱒二の世界~荻窪風土記から~』

(1983年度放送)

を再視聴。





(写真はNHKアーカイブから)




多分録画した時に3回は見てるはずなんですが、


今回は、番組冒頭からの10分間だけでも

7回連続再生。


なかなか先に進めません😅。



一応、井伏鱒二のWikipediaもチェック。

語彙入力して検索もしましたが、

どこにも書いてない。


 

井伏鱒二 が左利きだとは。




最初は『鞆の津日記』の原稿用紙を繰る動作に何か違和感がありました。


普通だったら無理な姿勢で無理な動作なのに、えらく指先が上手に動くなぁ……

と思い、


録画をリバースして、

荻窪の太田黒公園への散歩部分から再び視聴。



ご高齢なので杖をついてる。

右手で。



で、門をでて道行きコートのボタンを留める時に

左手で器用に留めている。



道行きコートとはこんなのです。




ボタンの上がこのように布地で覆われてるんですが、

それを左手のみで器用にボタンを留めている。

杖から右手を離すこともなく。



その後、井伏夫人が仕事の打ち合わせ中に出した紅茶のカップの把手が右側。


スプーンにレモンが乗ってるからには、


この頃の常識としてカップの取っ手は左側にして、砂糖やレモンをスプーンで扱いやすくしてたはず。


やはり左利きなのだろう。





井伏鱒二が左利きなら






太宰治の『走れメロス』



帰って来たメロスは、

身代わりになってくれていた友人の

セリヌンティウスに


「一瞬でも君を裏切ろうとした僕を殴ってくれ」

と言います。



そして、


セリヌンティウスはメロスの右頬を音高く殴った


石工でもある、友人セリヌンティウスは

左利きであろうと思われる表現。



右利きで相手の右頬を「音高く」殴るのは難しいし。






太宰治が『走れメロス』を書いた伏線として、熱海事件が有名ですね。



 








(これも写真はNHK杯アーカイブから)




太宰治は、井伏鱒二にこの件で殴られたのかもしれない………。



井伏鱒二が太宰治を殴ったエピソードなんてどこにもないのですが。




この1983年のNHK特集を見て、

お箸は訓練したのか右手で持ってましたが、

おそらくは普段は利き手の左手で

いろいろ日常をされてた様子がうかがえる。






確かに『走れメロス』の元ネタは西洋に古くからある物語ですが、



太宰治の『走れメロス』の

セリヌンティウスのモデルは


熱海で待たせてた 檀一雄 ではなくて、


井伏鱒二 だったんだろうなぁ


と、今回の再視聴で思ったのでした。




ま、、、セリヌンティウスが

石工(ストーンメーソン)てのも

ちょっとご愛嬌ですが。




ウィスキーなら幾らでも飲める

とおっしゃってる井伏鱒二氏のお顔のアップ。


年齢からか、すこーし眼が青い感じがするのは気のせいか。



年齢を重ねた井伏鱒二氏は、


新しくラグビー日本代表のコーチに決まった

エディ・ジョーンズと雰囲気が

ちょっと似てるなぁ……とも感じたわけでした。










『走れメロス』ついでに🙂



太宰治の長女・園子と結婚した、

政治家の津島雄二氏。


 



フルブライト奨学生で留学した大学が


ニューヨーク州シラキュース市の


シラキュース大学



「シラキュース」とは「シラクサ」

の事。


シチリア島のシラクサ が語源です。


 『走れメロス』の舞台。



こじつけの偶然ですが、


こんな時にしか書けないネタなので

にっこり