前回写真等を転載させていただいたブログ記事より、再び別記事を転載させていただいております。


 


(記事内容転載↓)
大連市南山エリアの望海街に、立派な一軒家があります。
かつては「官邸」という名前のレストランとして営業していたようですが、今は空き家になっているようです。
調べたところ、ここは、かの張作霖の邸宅として利用されたそうです。
外壁のタイルは後から施されたようです。
張作霖が過ごしたのはわずか1年だったようですが、後には林彪もここに宿泊したそうです。
建築年次は1927年です。






この記事の読者様からのコメント情報より。

◆この南山麓の豪邸は、終戦まで正金銀行大連支店長の邸宅であった。

◆戦後、支店長一家は引き揚げるまでソ連の高級将校と同居していた。

◆この重厚な建物はドイツ人建築家:ワーレンの設計で、
同じく大連の黒石磯あった遠藤繁清邸も手掛けたらしい。

◆遠藤繁清博士は、当時、
結核治療に関する最高権威の博士で、
大連・小平島にある満鉄の、
南満保養院の院長をしていた。

◆因みに、大連の黒石磯は人気のあった「星が浦」の近く。

◆遠藤繁清博士は、秩父宮様結核療養の主治医として日本に呼ばれている。





秩父宮様の肺結核。

検索しましたら、詳しく書いてある記事を見つけました。

ホント、他力本願ですみません💦
<(_ _)>


 




とても面白い記事でした。ニコ



この方の文意から汲むと、

聡明な秩父宮様を、軍部及び世間から遠ざける計画では無かったか?
その為に最高権威の遠藤繁清博士を
大連の南満保養院から呼んでないか?

なんなら結核菌に感染させてないか?

とも深読み出来ます。
あくまで個人的深読みです。


秩父宮様は、50歳で薨去されましたが、皇族としては異例の火葬でした。

これは、結核患者でもあられたので仕方がないとして……。

皇族としては異例の病理解剖が行われた。

そうです。

一応、病理解剖も火葬も秩父宮殿下のご遺言である、となってます。




戦前の人気女優、夏川静江






満鉄の社員が大連の個人宅に
人気女優を招待し、ジンギスカンで接待していたそう……。

社長とか、支店長とかじゃなく、
社員さんらしい。
(でも、やっぱり意味アリ社員ですけど。)




孫文、蒋介石、大陸浪人から
ロシアに行きたかったけど、
大連が深すぎて・・・。(-ω-;)

でも、興味深い事がいろいろわかりました。

満鉄、南満保養院。

やはり満鉄病院、気になるなぁ。